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鹿島神宮
かしまじんぐう
茨城県鹿嶋市宮中2306−1
ゆるぐとも よもや抜けじの要石 かしまの神のあらん限りは
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式内社 常陸國鹿嶋郡 鹿嶋神宮 名神大 月次新嘗 |
茨城県鹿嶋市にある。鹿島神宮駅のそば。
大鳥居をくぐり、参道をまっすぐに東へ歩くと赤い楼門。
楼門内、参道の右手に拝殿があり、
拝殿の後方に本殿、御神木、鏡石と並ぶ。
さらに参道はまっすぐに奥に延び、
突き当たりに奥宮がある。
奥宮から左手へ降りていくと、御手洗池。
右手奥へ進むと要石が祀られている。
本殿の雰囲気は、香取神宮に似ている。
養老5年頃の編集とされる『常陸国風土記』香島郡の項に、
孝徳天皇の御代、神郡が置かれ、
「其処に有ませる天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社、三所を合せて、
惣べて香島の天の大神と稱ふ」とある。
この「天の大神の社」が、当社・鹿島神宮。
当時は、坂戸社(天児屋命)と沼尾社(経津主神)を合せた神社とされていたが、
現在、両社は境外摂社となっている。
祭神・武甕槌神は、古事記において、
伊邪那岐命が迦具土神の首を斬ったときに、
御刀の血が、神聖な石に飛散って化生した神。
大国主命の国譲りの場面で、派遣され、
建御名方命を降伏させた神。
(日本書紀では、香取神宮・経津主神と共に、派遣されている。)
神武天皇東征の危機に際して、天から横刀を下ろして助けた神。
総じて、雷神・剣神と認識されているが、
一説には甕(ミカ:土器)の神との解釈がある。
『筑紫国風土記』に、筑紫の坂に出現するアラブル神を、
甕依姫に祀らせて、鎮静させる話があり、
「坂戸」の社名と、祭神・武甕槌神から、
境界を守る神とする説がある。
神紋は、三つ巴。
本殿には、他にも桐紋や、鳳凰紋なども見られる。
鹿島神宮の「一之鳥居」は、当社の西方、神宮橋の近くの大船津に建っている。
鹿島神宮公式サイトの写真を見ると、現在の大船津の「一之鳥居」は海中に立っている。
老朽化により日本一の水上鳥居に建て替えられたそうだ。
神宮方面から見た鳥居 | 鳥居 |
参道は、鹿島鳥居の大鳥居から奥宮まで、まっすぐに東へ延びている。
赤い楼門は、寛永11年(1634)水戸頼房公の奉納。
境内に入ると、正面に高房社(建羽槌神)。
右手に本宮社殿があり、左手には仮殿。
どちらも重要文化財に指定されている。
大鳥居 | 参道 |
楼門 |
仮殿 | 拝殿 |
社殿と後方に御神木 |
本殿 | 本殿 |
由緒書
−『平成祭データ』− |
境内社については、境内は広いので、かなり見落としていると思う。
確認したのは、参道脇に須賀社、祝詞社、津東西社、熊野社。
拝殿前の境内に高房社。奥宮への参道に熱田社。
須賀社、祝詞社 | 津東西社、熊野社 |
高房社 | 高房社と木 | 熱田社 |