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八幡宮
はちまんぐう
栃木県芳賀郡益子町長堤914  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧郷社

御祭神
誉田別命
配祀 大物主命 大山祇命 素盞嗚命

栃木県の益子町にある。
真岡鉄道益子駅の南4.5Kmほどの長堤に鎮座。
41号線を南へ下り、長堤で少し西へ入るのだが判りにくい場所。

ゴールデンウィークに益子焼陶器市へ行ったのだが
かなり早く到着してしまったので、周囲の神社を散策。
地図を見ると、八幡池のあたりで西へ入るのだが、
車で走っているとよくわからず、周囲をぐるぐると探し回ってしまった。

境内への参道は、東参道と南参道があり
南参道を歩くと、鬱蒼と茂る林の奥に境内が見える。

2011年3月11日の東日本大震災の影響か
参道途中に石鳥居があるのだが、
参拝した2011年4月29日現在、倒壊して粉々になっていた。

参道を進み境内に入ると、
社前の灯籠も石台から落ちて砕けていた。

拝殿は銅葺の入母屋造り。
昭和39年2月11日発行の『栃木県神社誌』には
萱葺屋根の古風な拝殿の写真が載っており
期待していたのだが、残念ながら屋根は変更されてしまっていた。

拝殿の後方には流造の本殿。
境内案内によると、元禄時代のものらしい。

後冷泉天皇の康平六年(1063)、源義家によって創祀された神社。
戦勝の軍旗を納めた旧地であるという。

後、文治五年(1189)、右大将源頼朝が奥州藤原泰衡追討として
当地に至った時、義家の吉例にならい、
領主宇都宮朝重に命じて当社へ戦勝を祈願させ
奥羽平定後に、境内に接続する地四八町歩の社領を寄進したが
戦国の世になって、領地は武人に押収され、社運は衰微。

嘉禄年中、常陸国佐白山の僧徒と徳倉布引山の僧徒との間で騒動が起き
将軍実朝は宇都宮頼綱に鎮撫を命じた。
頼綱四男左衛門時朝は、当社に戦勝祈願して凶徒を押さえ、
その勲功によって、時朝は笠間城主となり、馬場の敷石を寄進。
その後も宇都宮氏の崇敬を受けたという。

戦勝祈願に霊験のある神社なのだろう。
明治六年郷社に列格した。

境内の横に「種鶏育成場」があるらしく、
参拝中もニワトリの鳴き声が響いていた。


参道の倒壊した鳥居

参道

境内

灯籠も倒れていた

本殿

拝殿

拝殿扁額

神楽殿

長堤八幡宮本殿
■ 所在地益子町大字長堤九一四 長堤八幡宮
■ 建築年代元禄十六年(一七○三)
■ 様式一間社流造、銅板葺
■ 規模桁行2.45m 梁間1.95m 軒高2.43m 向拝1.89m
■ 特徴  社殿はすべて総欅材を用いている。 木鼻は唐獅子の彫刻で装飾され、 身舎欄間には前面は松、左側面は 親子獅子、右側面は夫婦獅子の 彫刻が飾りつけられており,身舎 向拝柱間には波形の彫刻を施した 虹梁が渡されている華麗な社殿で ある。元禄期の建造物の特色を よく表した建物である。

−境内案内−



【 八幡宮 八幡神社 (益子町長堤) 】

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