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小祝神社
おぼりじんじゃ
群馬県高崎市石原町1247
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式内社 上野國片岡郡 小祝神社 |
群馬県高崎市にある。
高崎駅の南西2Kmほど。
烏川にかかる聖石橋を渡り、500mほど南下した場所。
道路の東側に少し入ったところに鎮座。
境内の横には、保育園がある。
参道入口は南にあり、参道を北へ歩くと、
彩色された赤い社殿が目に入る。
創祀年代は不詳。
主祭神は、少彦名尊だが、
御神体は、石だそうだ。
鎮座地名が石原。別当寺が石昌寺。
烏川にかかる橋が聖石橋で、烏川の中に、「聖石」「赤石」「川越石」の
三石があるといい、石と関係の深い神社であることがわかる。
多数の合祀神は、明治の合祀によるものだと思う。
神紋は三つ巴だ。
人口の密集地にあり、境内はコンパクト。
享保の本殿が鮮やかだ。
境内入口 | 境内 | 上野国七ノ宮 |
境内社殿 |
社殿 | 本殿 |
小祝神社
小祝神社は片岡の鎮守として、また安産・子育
守護神として崇敬篤い社である。神社の創建は不詳であるがm元慶四年(八八〇) に正五位が贈られ、延長五年(九二七)の延喜式 神名帳に上野十二社の第七社に加えられており、 その時からでも千年以上たっている。 祭神は、「少彦名命」で医薬及び穀霊神である ところからこの土地の豪族が、悪疫退散・五穀豊 穣を祈願して建立したものと思われる。現在の社 殿は江戸時代の正徳年間、高崎城主 間部越前守 詮房により造営されたものである。 四月と十月の祭典には、神楽が奉納され多数の 参詣者で賑わう。 境内には、 「しばらくは 花の上なる月夜かな」 の芭蕉句碑がある。 −境内案内− 当社は、「延喜神名式社上野国片岡郡一座小祝神社」として国内神名帳に正一位小祝明神とあり、記録に元慶四年五月二十五日、授上野国正五位下小祝神正五位上勲十二等とあり。また、神道集に上野の七宮に数えられて、その稜威は国史に輝きつたえり。高崎城主代々は崇敬厚く、中でも安藤対馬守重信、間部越前守詮房等は特に崇敬せられたり。正徳年中、間部越前守によりて神殿を造営されたのが、現在の御本殿である。明治五年、社格御制度により第五大区郷社に列記せられ、明治四十一年六月十八日、許可を得て、本殿内に少彦名命他二十柱を合祀せり。 −『平成祭データ』− |
【 小祝神社 (高崎市) 】