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椋神社
むくじんじゃ
埼玉県秩父市蒔田字宮平2167
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式内社 武蔵國秩父郡 椋神社 |
秩父鉄道秩父本線の大野原駅から、直線で北西2Km。
荒川にかかる、秩父橋を越えて、299号線を西へ走ると、
大きくカーブしている場所がある。
そのカーブから少し北へ入った蒔田に鎮座。
住所は蒔田だが、中蒔田と呼ばれているようだ。
東南向きに小さな境内があり、中央に社殿。
社殿の左右に、二つずつの小祠の境内社がある。
創始年代は不詳。
式内社・椋神社の論社。
といっても、秩父地方には椋神社と称する神社が六社あり、
そのうち五社が式内・椋神社を主張しているので、
どれが式内社であるか、明らかではない。
当社も式内社を主張している神社だが、
永禄年間に兵火に罹り、社殿・古記録を焼失し、
社領も没収されたという。
宝暦十三年に社殿を再建し、
明治六年に、熊谷県より、延喜式内と称することを許可された。
当社には、石器時代の遺物・石杵があり、
神宝石と称しているらしい。
ところで、当社の鎮座地は、『式内社調査報告』では蒔田宮原2167で、
当社の南西2Kmの蒔田宮平2842に、同名社がある。
当社境内の隅に、
「地發第七六號秩父郡尾田蒔村大字蒔田字宮平 村社 椋神社
明治三十九年四月 勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進ヲ指定ス」
と刻まれた石碑があるのだが、当社の住所が宮平なのだろうか。
ただし、現在の住所番地では、当社が2167なのだが。
※※※ 追記 ※※※
その後、中蒔田の社の方から当社の字は宮平が正しいという連絡をいただいた。
上蒔田も宮平と書き、上蒔田は「みやのたいら」、中蒔田は「みやでいら」と読むらしい。
なんだか紛らわしくて、参照した『式内社調査報告』では、
上蒔田の社と位置の混同もあるようなので訂正しておく。
社殿には、金色の稲紋が飾られていた。
蒔田の地名にピッタリの神紋だな。
鳥居 | 社殿 |
境内社殿 |
本殿 | 社殿 |
左の境内社、稲荷・八幡 | 右の境内社、八坂・産泰 |
市指定無形文化財 中蒔田椋神社の神楽 秩父地方に数多い神楽も、その由来や舞の型態等によって、 いくつかの系統に分かれます。なかでも古風な舞をもち、盆地 内に広く分布し、その主流をなしているものは秩父神社系神楽 です。 この秩父神社の神楽も幕末から明治の一時期にかけて、後継 者不足から休止のやむなきに至ったといわれ、その断絶を憂え た秩父神社の神楽師佐野宗五郎は、蒔田椋神社祠掌設楽一貫と 計り、椋神社氏子に伝授したと伝えられています。 明治七年三月の「太々神楽装束勧進録」には、「天朝庚平区 内安全五穀成就氏子一統開化進歩へ時勢二不渡戸々家々為繁栄 祈念年々祭日永代太々神楽を奏する事」。とみえることから明 治七年には既に伝授されていたものと考えられます。その後座 や舞の変革はほとんど行われていないので、当時の秩父神社神 楽の形態を伝えるものといえます。 −境内案内板より− |