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甲波宿禰神社
かわすくねじんじゃ
群馬県吾妻郡東吾妻町箱島1136
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式内社 上野國群馬郡 甲波宿禰神社
御祭神 |
群馬県吾妻郡箱島にある。
小野上駅の南東1Kmほどの位置。
吾妻川から南へ500mほどで、
吾妻郡から渋川へ向かう道路から少し北に入った場所に鎮座している。
道に面して鳥居があり、鳥居をくぐって、すぐ左手に社殿。
社殿の右手、鳥居からまっすぐ進んだ場所は広い草地になっている。
鳥居から社殿までが窮屈な配置で、境内が少し歪な感じだ。
鳥居から見える対岸の山々は、実に気持ちが良く、
草地の緑も爽快なのだが。
祭神は川の神様で、式内・甲波宿禰神社の論社。
社伝では、延暦4年に、早良親王に加担し当地に流された小野金善が、
川島の甲波宿禰神社から勧請したという。
つまり、当社自体は、式内を主張しているわけではないようだが、
甲波宿禰神社の論社は、当社の周囲には3つ。
『式内社調査報告』では、以下のように記述されている。
まず、3つの鎮座地が、箱島・祖母島・川島と「島」のつく土地。
さらに、3つはほぼ等間隔に、しかも吾妻川に沿って並んでいる。
海神や川神に関する神社は、三社構成であることが多い。
(たとえば宗像大社、丹生川上神社)
ということで、吾妻川(甲波=かわ)を神格化して祭祀した神社で、
三社並立の神社ではなかっただろうかということ。
神紋は三つ巴だが、社殿の瓦と屋根についていた三つ巴は、向きが逆。
どちらが正しいというような、細かなことは気にしないのだろう。
社殿の背後や境内には、石祠がズラッと並んでいた。
境内入口 | 拝殿扁額 |
拝殿 |
本殿 | 本殿後方から |
境内社 | 石祠が並ぶ |
甲波宿祢神社
中世になっては白井城主長尾氏の崇敬が厚く長尾景春が 神宝として太刀一振を献上し社殿の修築をしたといわれます。祭典は 往古は万福寺住職が奉仕していましたが明治になってから神官奉仕と なりました。尚当社は古昔は正一位宿祢大明神といわれましたが明治元 年神祇官布告によって甲波宿祢神社と改称されました。 宝物は神鏡太刀神輿(天正三年作と伝えられる)があります。 表鳥居に享保十九年宿祢大明神とあり社殿は当時のものです。 拝殿の石立端柱の獅子十二頭・屋根下の鶴・鴨居の龍の彫刻 格天井に画かれた狩野派の絵画等いずれも貴重な 文化財です。尚明治初年社務所の火災で残念ながら 古記録すべて焼失しました。 −境内案内− |
【 甲波宿祢神社 甲波宿禰神社 (箱島) 】