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洲崎大神
すさきおおかみ
神奈川県横浜市神奈川区青木町5−29
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神奈川県横浜市にある。
京急・神奈川駅の東150mほどの青木町に鎮座。
境内入口は南向き。道路に面して白い神明鳥居が立っており、
鳥居の右手に「洲崎大神」と刻まれた社号標が立っている。
参拝は三月の早朝、夜明けの頃。
境内の外はすっかり明るくなっていたが
こんもりと木々の茂る境内に入るとまだまだ暗い、そんな時刻。
ただ、境内は思ったより広く深い、そんな印象。
参道を進み、数段の階段を上ると参道左手に境内社の稲荷神社があり、
参道を進むと、獅子の像が載っている溶岩らしき岩がある。
さらに参道を進み、階段を上ると社殿。
拝殿と後方の本殿は神明造。
本殿は垣の中にあり暗い境内では上手く写真に収めることが出来なかった。
境内の背後には、権現山と呼ばれた幸ヶ谷公園があり、
それほど高くはないが周囲を見渡せるので参拝後に登ってみた。
上から見下ろすと銅板葺の本殿屋根がよく見える。
社伝によると、治承四年(1180)石橋山の合戦で敗れた源頼朝は、
相模国真鶴から海路安房国へ渡り、安房国一の宮・安房神社に参籠して再起を祈願。
遂に天下を平定し、鎌倉に幕府を開いた。
その神恩に報いるため、後鳥羽天皇の建久二年(1191)六月二十六日、
現社地を選定し、安房神社から勧請したという古社。
以来、鎌倉幕府の直轄となり、当地の鎮守として崇敬されているという。
個人的には、社号から后神を祀る洲崎神社からの勧請だと思うが、
昔は、房総半島の先端部にある安房神社も含めて洲崎と呼んでいたのかもしれない。
ちなみに蒲田を挟んで東京側の品川には、同じく頼朝によって、
この洲崎神社から勧請された品川神社がある。
明治六年郷社に列した。
当社の神紋は三つ巴紋。
安房神社の神紋は、菊花紋と酢漿草紋だが、
頼朝の守護神、八幡大神の紋(巴紋)を使用しているということだろうか。
社殿の前に由緒略記を掲示した由緒書きがあり
写真に撮って来たんだけど、やはり思っていたよりも暗かったようで
ブレててよく読めなかった。
神社では、基本的にはフラッシュを使わないようにしているので
たまに、こうなる。
鳥居と社号標 | 境内の鳥居 |
境内 |
稲荷社 | 溶岩に獅子 |
社殿 | 神楽殿 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
背後の権現山から本殿 |
洲崎大神
洲崎大神は、建久二年(一一九一)、
源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮
の安房神社の霊を移して祀った
ことに始まると伝えられている。『江戸名所図会』の様子は、今も 石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。 神社前から海に向かって 延びる参道が、第一京阪に突き当たるあたり。 そこが、かっての船着場である。 横浜が開港されると、 この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、 付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる 陣屋も造られた。 −社前案内板− |