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戸部杉山神社
とべすぎやまじんじゃ
神奈川県横浜市西区中央1−13−1
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式内社 武藏國都筑郡 杉山神社 |
神奈川県横浜市にある。
京急・戸部駅の南西500mほどの西区中央に鎮座。
西区役所の北、戸部公園の東に境内がある。
境内入口は南向き。
入口に石鳥居が南面して立ち、扁額には「杉山神社」。
鳥居の右手には同じく「杉山神社」と刻まれた社号標が立っている。
当社の正式な社号は「杉山神社」だが、
横浜近郊には杉山神社という名の神社が数十社あり
区別のために、社号を戸部杉山神社と記しておく。
地図にも戸部杉山神社とあるので、
当社の俗称として用いられているのかもしれない。
参拝は三月の休日、曇天の早朝。
日の出の時刻は過ぎた頃だが、太陽は見えず薄暗かった。
ただ、僕の参拝中にも近所のおばあさんが参拝に来られていた。
鳥居をくぐると、参道脇に立ち枯れた御神木があり、
参道を進むと正面に社殿。
拝殿はコンクリートの入母屋造で、本殿は流造。
屋根は銅板で葺かれているようで青くて綺麗だった。
社殿の前に普通の狛犬があるが
その少し前、手水舎のあたりの参道の両脇に
鼠の狛犬というか狛鼠がある。祭神・大己貴神(大国主命)の神使だ。
狛鼠は台座の上が回転するようになっており、
回しながら願いを唱えるのだろう。
面白かったので左の鼠を回していたら参拝中のおばあさんに笑われた。
後で気付いたが、境内案内によると、右がオスで左がメスらしく、
男性はオス(右)を女性はメス(左)に願いをかけるようで、
誤解されたかもしれない。
社伝によると、白鳳三年三月二十日の創建。
杉山一族が当地を開拓し、塩田の浜に出雲大社の分霊を勧請したという古社。
武蔵国の式内社・杉山神社の論社だという。
上にも書いたが、横浜近郊には杉山と称する神社が多く、
『式内社調査報告』によると、昔は
都筑に二十四社、橘樹に三十七社、久良岐に五社、南多摩に六社の七十二社あった。
その後、廃絶したり合祀されたりしたが、現在でも四十数社存在し、
式内社・杉山神社であると主張している社が十社ほどあるらしい。
『式内社調査報告』では、その中で四社が紹介されているが
残念ながら当社に関する記述はない。
当社は、歴代国司、地頭、代官が祭祀に参与し、
幕府より御朱印地を付され、明治六年村社に列した。
手水鉢に小槌の紋が刻まれており、
祭神・大国主命の打出の小槌を神紋としたのだろう。
社殿の右手に境内社があるが、フェンスが閉じられて近づけなかった。
フェンスには「風紀衛生防犯上」のため閉鎖されていると書かれていた。
都会の神社ではホームレスや放火など、いろいろな問題があるようだ。
フェンスから覗くと、左手に数社を合わせた境内社、
右手に六角堂のようなものがある。
『平成祭データ』には、当社の末社として、
天神社(菅原道眞)、稲荷社(宇賀之御魂命)、社宮祠社(猿田彦大神)、
嚴島社(市杵嶋姫命)、山王社(大山咋神)、浅間社(木花開耶姫命)、
三峯社(伊弉諾命、伊弉册命)、聖徳太子殿(豊聰耳命)の名が載っている。
六角堂のようなものは聖徳太子殿かもしれない。
ちなみに豊聰耳命は聖徳太子の別名。
社頭 |
鳥居 | 鳥居扁額 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
メス鼠 | オス鼠 |
社殿と右手に境内社 |
大国主像 | フェンス越に境内社 |
大国主命と鼠
当神社、御祭神のオオクニヌシノミコトが、スセリヒメに結婚を申し込みに行ったところ、
ヒメの父神であるスサノオノミコトから、種々のことを試されました。
その中に、野原に射ち込んだ矢を探して来ることがありました。オオクニヌシノミコトが野原に入ると周りから
火をかけられミコトは火の中に閉じ込められました。そこへ出てきたネズミの案内で穴の中に逃げ、
火をやり過ごすことができました。射ち込まれた矢もネズミが探してきてくれて無事に成功しました。
このことから、ネズミはオオクニヌシノミコトのお使いとなり、
ミコトをおまつりした神社には子神社「(ね)の神社」と呼ばれるお宮さんもあります。
稲荷神社の狐、日枝神社の猿、天神様の牛などのように神様と御縁のある動物はほかにもあります。
お飾りしてあるネズミは、神社に向かって右側がオス、左側がメスです。男性はオス、女性はメスにお願をかけて下さい。−境内案内板より− 当神社は、白鳳三年弥生二十日の創建と言う。武相の地杉山社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと言伝う。当神社の効顕の著しきを以て近隣に杉山社の名称多くなれりとも言う。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。 歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しありと言う。御祭神は天孫降臨以前に己に国土開拓経営に威霊を発揮せられ給う。即ち日本最初の神社祭神なり。貧賊病弱を救癒して産業を授けて富益を増し、医薬の道を興して氏族の繁栄の基を計り、剣爭を用いずして温和の中に諸事泰平の国本を培養せられ、国政家斎の法を授け給う。知謀悟道の祖を開き、国利民福を念とし給う。自ら苦反して以て他を憐み給ひ、即ち当地開拓の先哲達人先ず此の大神を奉祀し、鎮護の祈願せんため、勧請せしなり。 −『平成祭データ』− |