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三輪神社
みわじんじゃ
埼玉県吉川市三輪野江1372
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埼玉県吉川市にある。
江戸川を挟んで、流山I.C.の対岸。三郷駅へ南下する道路の西側に、
南向きに鎮座している。
境内を囲む垣はなく、白い鳥居が新しく、オープンな神社だ。
鳥居から拝殿へ向う参道脇には、綺麗な植え込みがあり、
大事に維持されていることがわかる。
このように町中にある神社は、比較的綺麗で、
こざっぱりとしている。
式内・茂呂神社の論社ではあるが、正確には違う。
当地は、江戸時代まで、千葉県流山市にある茂侶神社の氏子区域であったが、
慶長3年(1598)に江戸川が掘られ、区域が分断されたため、
元和年中に西岸の当地へ、茂呂神社を分社したもの。
茂呂神社の「茂呂」は、御諸(みもろ)の「もろ」という説。
大和三輪山を、御諸山とよび、大神神社が鎮座している。
祭神は、大己貴尊と木花咲耶姫命。
境内の石碑には、少彦名尊の名が載っている。
木花咲耶姫命は、明治四十三年に合祀された浅間社の祭神。
社殿も渋めの色調で落ち着いた印象。
金飾りで、巴の紋様が付いていた。
参道 | 拝殿 | 本殿 |
境内 |
拝殿 | 境内社 |
三輪明神由緒並びに新築記念之碑
三輪の社は大己貴尊少彦名尊を祭神とし
て古来より国土開拓の神として特に農耕を
中心とした工商すべての産業開発の神であ
り 人々の日常生活の守護神でありますこの社の大神は遠く奈良県の三輪山(三 諸の神奈備)をご神体として奉斎されてい ます 千葉県流山市三輪野山にある式内社 茂呂神社はそのご神体を分霊された社であ り延喜式神名帳という平安時代初期の書物 にもその名がみられる由緒ある社です 慶長年中以来父祖の地二郷半領の新田開 発が進められ 整地され やがて元和年中 (一六一五年―一六二三年)三輪野山の茂 呂神社よりそのご神体が分霊され祭られた のが当郷の三輪の社であります 享保三年 には時の神祇道官領卜部兼敬によって正一 位三輪大明神の宗源宣旨を受けております 以来 多くの人々の尊崇を受けて今日に 至ってまいりました 創立より三百六十有 余年 この間何度かの新改築が行なわれて きましたが 近年老朽が甚だしくなり 氏 子一同協議の結果拝殿を新築することに決 まりました その資金として社有地の一部 売却ならびに氏子一同の寄附金をもって新 拝殿及び諸整備が美事に完成し 多年に亘 る念願がここに達成されました 氏子一同この慶びを記念してここに碑を 建立します 昭和五十九年五月吉日建之 −境内石碑− |
【 三輪神社 (吉川市) 】