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薭田神社
ひえだじんじゃ
東京都大田区蒲田3−2−10  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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式内社 武蔵國荏原郡 薭田神社
旧郷社

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御祭神
誉田別命 天照大神 武内宿禰命 荒木田襲津彦命 春日大神

東京都大田区にある。
京急蒲田駅から北へ500mほどの位置に東向きに鎮座。
京急蒲田駅の西側に蒲田八幡神社があるが、
そこからほぼまっすぐに北へ進むと当社境内に突き当たる。

境内入口に「延喜式内薭田神社」と刻まれた社号標。
東向きなので、午後の参拝だと逆光になってしまう。

鳥居をくぐり参道を進むと、左手に社務所、正面に社殿。
拝殿は入母屋造。拝殿の後方に幣殿と、流造の本殿。
社殿はいずれもコンクリート造のようだ。

周囲はお寺と住宅地で、静かな境内。
社殿の左手に桜などが植えられ綺麗な花が咲いていた。

参拝後、社務所で御朱印をお願いすると
京急蒲田駅前の蒲田八幡神社でいただけると教えていただいた。
京急蒲田駅から狭い路地を勘を頼りに当社に来たので
戻る道に自信がなく、蒲田八幡神社までの道も教えていただいた。

社号は「薭田神社」。
ブラウザによっては表示されない漢字かもしれないが、
草冠の下に稗という字だ。

創祀年代は不詳。
式内社・薭田神社に比定される古社で、
薭田は蒲田の古字(あるいは誤字)と考えられている。
つまり現在は蒲田神社が正しいということだろうか。

蒲田草創の古社であり、
社域は、垂仁天皇の御宇、神地神戸を定められ
天神地祇を崇祀さられた地であるという。

和銅二年(709)、行基が当地に留まり
天照・八幡・春日の三神体像を造り本殿に安置。

後、日蓮が池上宗仲邸に入ると、
村民の要請があり、日蓮により三神体像が開眼されたという。

三代実録貞観六年八月十四日には、
従五位下蒲田神とあり官社に列したことがわかる。

『明治神社誌料』には「土俗蒲田八幡と呼ぶ」とあり、
八幡神社として崇敬されていたようだ。
明治五年郷社に列し、
昭和二十年戦災にて焼失、昭和二十九年に再建復興し
昭和三十四年、鎮座千二百五十年祭を執行した。

参道の右手に境内社が並んでいる。
入口に近い順に、山野神社合祀碑と天祖神社石碑。
その奥に薬祖神社、稲荷神社、三十番神社の三社が並んでいる。
三十番神社には、法華三十番神が祀られている。

蒲田八幡とも称されていたようで、
神紋は八幡の紋・三つ巴だ。


社頭

鳥居

参道

境内

拝殿

拝殿

社殿横から

境内社

薬祖神社

稲荷神社

三十番神社

天祖神社

山野神社合祀碑

延喜式内社 薭田神社
由緒
主祭神誉田別命
相 殿天照大神 武内宿禰命 荒木田襲津彦命
春日大神
例祭日九月十五日
抑も当社は三代実録延喜式その他の古文書に明記せられ たる由緒深き所謂延喜式内の神社にして蒲田創草の古社 なり
和銅二年(七〇九)僧行基は天照・八幡・春日の三神体を造 り本社に安置す 後年僧日蓮は池上宗仲の舘に入るに及 び村民の請を容れ改めて開眼すると伝う
清和天皇貞観六年(八六四)官社に列し従五位下を賜り 明治五年十月郷社に定めらる
安政四年(一八五七)拝殿を改築元治二年(一八六五) 本殿を改築昭和四年拝殿・幣殿を改築昭和九年本殿屋根葺 き替え及び神楽殿を新築す
昭和二十年四月十五日戦災のため灰燼に帰す 昭和二十 一年九月十五日仮本殿を再建し昭和二十九年八月十五日 本殿・幣殿を新築す

−由緒石碑−



薭田神社由緒
延喜式神明帳に、武蔵国荏原郡薭田神社と記載された、いわゆる延喜式内社である。和銅二年僧行基がこの地に足を留め、天照大神応神天皇、春日大神三柱の御神体を刻みて納め奉ると伝えられる。斎場としての歴史は更にさかのぼり、第十一代垂仁天皇御宇神地神戸を定め給いて天神地祇を崇敬し給いし霊地とも伝えられ、この地に集落ができると共に成立した蒲田創草の古社である。薭の字は蒲の古字と言われ、薭田神社はむかし蒲田神社とよばれたと伝えられている。大田区指定の文化財となっている大鳥居に、蒲田井郷薭田神社とあり、南蒲田一丁目鎮座の北野神社々標にも蒲田井府北野神社とあって、蒲田井(ホタイ)と読むと伝えられていること、又三代実録には清和天皇貞観六年(西暦八六四年)八月十四日戊辰詔以武蔵国従五位下蒲田神列官社と記載されていること、その他の事情を考察するに、ホ−蒲−薭のあて字がつかわれ、薭田(ホタ)をヒエタと発音するようになったものと思われる。
永禄の頃、行方弾正代々六郷の地頭として本社の傍らに住し、本社を崇敬して経営につとめたので当時は壮観を極めた。天正十八年、弾正直清は北条氏に味方して豊臣秀吉と戦ったが敗れ、その家も滅びてしまったので、本社の神器・宝物・記録等を散逸し、社殿は荒廃した。しかし村民氏子の微力によって修繕管理され、氏神様として村民の信仰を集めつつ今日の姿となった。明治五年十月郷社に定められる。昭和二十年四月十五日戦災の為全焼する。昭和二十九年御社殿復興遷座祭を執行する。昭和五十四年御社殿復興二十五周年記念事業として社務所を新築した。

−『平成祭データ』−



【 薭田神社 ひえ田神社 (大田区) 】

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