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甲波宿禰神社
かわすくねじんじゃ
群馬県渋川市川島1287
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式内社 上野國群馬郡 甲波宿禰神社 |
群馬県渋川市川島にある。
JR金島駅の西1Kmほど。上越新幹線を越えた丘の上に鎮座している。
狭い道から階段を上がると境内がある。
鳥居は、階段の途中にあったが、入口にはない。
ひょっとすると、少し離れた所に一之鳥居などがあるのかもしれないが。
度会延経の『神名帳考證』などは、祭神は賀表真稚命としているようだが、
当社の祭神は川の神様で、式内・甲波宿禰神社の論社。
社伝では、創祀は宝亀2年(846)9月29日。
嘉祥3年(850)12月官社に列し、
貫前、赤城、伊香保についで、上野国四宮と称されていた。
かっては吾妻川の近くに鎮座していたが、
天明三年(1783)、浅間山の噴火の際の泥流で流出してしまい、
天明五年九月十九日に、諏訪神社のあった現在地に再建されたらしい。
甲波宿禰神社の論社は、当社の周囲には3つ。
『式内社調査報告』では、以下のように記述されている。
まず、3つの鎮座地が、箱島・祖母島・川島と「島」のつく土地。
さらに、3つはほぼ等間隔に、しかも吾妻川に沿って並んでいる。
海神や川神に関する神社は、三社構成であることが多い。
(たとえば宗像大社、丹生川上神社)
ということで、吾妻川(甲波=かわ)を神格化して祭祀した神社で、
三社並立の神社ではなかっただろうかということ。
神紋は三つ巴だが、賽銭箱には桐紋のようなものが付いていた。
なぜだろう。
東向きの本殿の後ろに、大事に祀られている気配の石碑があり、
天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照皇大神と刻まれていた。
その他、多くの小さな石祠が並んでいる。
境内社としては、神明社・諏訪神社・北辰宮など。
参道の鳥居 | 拝殿 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
参道 | 本殿後ろの石碑 | 神明社 |
北辰 | 諏訪社 | 不明 |
境内の石祠群 |
天明の浅間山噴火で流出した古社地に行ってみた。
現在地の北東500mほどの吾妻川の南岸。
上越新幹線の高架の東側。観音堂の近く。
『神道集』には、当社の本地は千手観音とあり、この観音堂が本地堂らしい。
畑の中に数本の石柱や「甲波宿禰大神」と刻まれた社号標が立っている。
観音堂から吾妻川よりには、浅間山噴火で流されてきたという浅間石がある。
「金島の浅間石」と呼ばれる南北10m、高さ4.4mの大石で
群馬県指定の天然記念物になっている。
こんなのが流れて来たのでは、社殿も流出するだろう。
吾妻川近くの古社地 |
観音堂 | 金島の浅間石 |
甲波宿禰神社
ここ甲波宿禰神社は、上野国十二社の「四の宮」として古く
から崇敬の篤かった神社です。祭神は、速秋津彦命・速秋津姫命で、多くの神社が山の神を 祭っているのに対し、この社は川の神を祭った全国でも数少な い珍しい神社として知られ、人々の罪やけがれを呑み去る神と して、古くから多くの人々に崇拝されています。 −境内案内− |