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大我井神社
おおがいじんじゃ
埼玉県熊谷市妻沼字大我井1480
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式内社 武蔵國播羅郡 白髪神社 |
埼玉県妻沼町にある。
利根川の南岸、407号線から東へ少し入った場所に南向きに鎮座。
鳥居をくぐると左右に祠があるが、門神だろう。
参道を北に歩くと正面に唐門が立つ。
以前は、若宮八幡宮の正門だったが、
若宮八幡宮が当社に合祀された後、当社境内に遷されたもの。
唐門をくぐると正面に拝殿、その後方に神明造の本殿がある。
境内の左手に、緑の塚があり、頂上まで階段が続いている。
階段を登ると頂上には「富士浅間大神」と書かれた石碑。
階段の中央に、蜜柑が一つ供えられていたのが印象的。
明治までは、聖天宮と混祀しされており、
明治の神仏分離に際し、新たに社殿を造営して祀りなおした神社。
もとの鎮座地は、当社の西方にある聖天山歓喜院の境内だったらしい。
その聖天宮が、式内・白髪神社であると考えられている。
あるいは、もともと白髪神社が現在地に鎮座していたものが、
いつしか聖天山歓喜院境内に遷され、明治になってもとの戻ったとも。
社伝によると、景行天皇40年、日本武尊東征のおり、
稲置を建てて神の璽に矛楯立てたといわれる霊場であるらしい。
(意味は良く分からないのが残念)
拝殿の瓦には笹竜胆の紋が付いていたが、
神紋であるかどうかは疑問が残る。
神明造本殿の鰹木には三つ巴もついていた。
門神 | 鳥居 | 門神 |
境内 |
境内の磐座 |
唐門 | 社殿 |
境内社殿 |
本殿 | 拝殿 |
富士浅間大神(富士塚) |
大我井神社唐門の由来
当唐門は明和七年(百八十六年前)若宮八幡社の正門として建立
された 明治四十二年十月八幡社は村社大我井神社に合祀し唐
門のみ社地にありしを大正二年十月村社の西門として移転した
のであるが爾来四十有余年屋根その他大破したるにより社前に移
動し大修理を加え両袖玉垣を新築して面目を一新した時に昭和三十年十月吉晨なり −境内案内− |
【 大我井神社 (妻沼町) 】