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椋神社
むくじんじゃ
埼玉県秩父市蒔田字宮平2842
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秩父鉄道秩父本線の大野原駅から、直線で西へ3Km。
荒川にかかる、秩父橋を越えて、299号線を西へ走り、
大きくカーブしている場所からさらに2Kmほど南西に進むと、
道路の北側に、参道入口の鳥居が見える。
ということで、境内は南東向き。
参道を進み、境内入口の鳥居をくぐると、
境内奥に、一段高く社殿が鎮座。
創始年代は不詳。
社伝によると、日本武尊東征のおり、
当地の椋の大樹の根元に、大己貴命を奉祭し、
椋大神と称したという。
また、勅使が美濃国蒔田の里より、
稲穂を運んできて、当地に蒔いたため、
蒔田という地名になったという。
参拝当日は、この椋の木には気づかなかった。
というか、椋がどんな木なのかすら知らないのだ。
式内社・椋神社の論社。
といっても、秩父地方には椋神社と称する神社が六社あり、
そのうち五社が式内・椋神社を主張しているので、
どれが式内社であるか、明らかではない。
当社の神事には、御田植神事というものがあり、
氏子の中から、神部と呼ばれる者を選び、
主役として、手に鍬を模した竹製の農具を持ち、
御田植の所作を演じるもの。
社殿には、葵の紋が付けられていた。
鳥居 | 参道 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
市指定民族資料 蒔田椋神社御田植神事 この社は遠く「延喜式」に載る古社で、ここに伝わる御田植 神事は春の農作業に先がけた三月三日(旧暦の頃は二月三日) 今年の稲作の豊穣を願って行われます。境内にしめ縄を張りめ ぐらして御田代に見立て、鳥居の外には、わらで龍を形どった 水口が設けられます。 毎年氏子の中から十二人の神部が選ばれ、その中の二人が作 家老となって神事の主役となりますが、神部のいでたちは、烏 帽子に白装束で、手には鍬を模した竹製の農具をもって演じます。 祭典ののち坪割り(四方固め)つづいて水乞い神事に丹生神 社までまいり、水ぬさと呼ぶ御幣をいただき御田代水口に立て、 田仕事が始まります。苗代つくりから種子播き、本田の耕起か ら田植までの実際の農耕順序にしたがい「御代の永田に手に手 をそろえて、いそげや早苗手に手をそろえて」と田植唄をうた いながら演じる所作は、多くの古風な習俗を伝承している貴重 な民族資料です。 −境内案内板より− |
【 椋神社 (上蒔田) 】