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坂上田村麻呂 |
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坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
別名
坂上田村麿:さかのうえのたむらまろ
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さかのうえのたむらまろ
別名
坂上田村麿:さかのうえのたむらまろ
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- 天平宝字二年(758)生まれ、弘仁二年(811)没。
刈田麿の子として生まれ、近衛将監、近衛少将と武官を歴任。
延暦十三年(794)に奥羽征討のため東下し戦功を輝かし、
同十六年に征夷大将軍に任ぜられる。
- 弘仁二年に大納言に進んだが、同五月京郊外の粟田別業で歿した。
宇治郡来栖村に遺骸を立てたまま葬ったという。
- 国の大事があると、この塚が鳴動すると伝へられ、将軍塚として武人の信仰を集めた。
歿後一年を経た弘仁三年、田村麿の鈴鹿山の賊鎮定にちなんで、
神祠が嵯峨天皇の勅により二子峯に創建された。
- 同十三年倭姫命を祀る鈴鹿神社に合祀し、これを田村神社と称した。
- 東北地方を中心に、田村麿が再建(中興)し、されにこれを頼朝が再興したという
伝承を有する神社が多く存在する。
【 坂上田村麻呂:玄松子の祭神記 】
