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御食津神 |
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御食津神
みけつのかみ
別名
御食神:みけつのかみ
御膳神:みけつのかみ
大御食津臣命:おおみけつおみのみこと
大御食津命:おおみけつのみこと
大御食津彦命:おおみけつひこのみこと
大御食津姫命:おおみけつひめのみこと
……
みけつのかみ
別名
御食神:みけつのかみ
御膳神:みけつのかみ
大御食津臣命:おおみけつおみのみこと
大御食津命:おおみけつのみこと
大御食津彦命:おおみけつひこのみこと
大御食津姫命:おおみけつひめのみこと
……
- 食物を司る神。
- 『古語拾遺』によると、神武天皇が即位の時、天照大御神と高皇産霊尊の勅に従って、
神籬を建てて祀った八神の中に一柱。後に宮中神祇官の八神殿において御巫に齋き祀られている。
『延喜式神名帳』宮中神の条に、「御巫祭神八座」とあって、 「神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神」の神名を掲げている。 - 応神天皇が太子の時代に越前敦賀の気比大神(伊奢沙和気大神之命)と名を交換した話。
敦賀の仮宮で、伊奢沙和気大神之命が太子の夢に現れ、「私の名を御子の御名に変えたい」と告げ、 太子が承諾すると「明日の朝、浜へお出かけください。名を変えたしるしの贈り物をさしあげましょう」と言った。
翌朝、太子が浜へ出てみると、鼻の傷ついたイルカが浦いっぱいに集まっていた。 太子は「神が私に食料の魚を下さった」といい、神の御名を称えて御食つ大神と名づけた。 - 古代において名は霊威のこもる実体と考えられたから、その交換・命名は、
相互の霊的、社会的関係(支配や服属など)の更新を意味した。
名易えの結果、気比大神が「御食つ大神」と称えられたことは、
大陸交通の要衝であった越前敦賀と宮廷が食物献上を通して新たな服属関係を結んだことを意味する。
- また、敦賀の伊奢沙和気大神之命は、天日槍命、あるいはその後裔と思われる。
母の神功皇后も天日槍命の末裔であり、祖神に挨拶することで皇位を継ぐ準備ができたとも思われる。
- 「ナ」は「魚」を暗示する謎掛けになっており、翌朝海辺に打ち寄せられたイルカを見て太子は「神が御食の魚を下さった」と、
見事にその謎を解いた。そこには難題克服による太子の成人を称える意味もある。
- 大御食津臣命は、崇神天皇の時、止由気大神に従って天降った。
- 大御食津命は、雄略天皇二十二年に、止由気大神が丹波から伊勢へ移った時に従った。
- 大御食津彦命は、食物に功徳のある男神で大御食津命と同神と考えられている。
また、丹波國の麻氣神社の祭神・大御饌津彦命に関しては、天忍雲根命の尊称であるという。
- 大御食津姫命は、大御食津彦命(男神)に対する女神だろうか。
御食津神 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)
(玄松子が参拝した神社のみ)
氣比神宮 | 福井県敦賀市曙町11−68 | |
御木神社 | 石川県加賀市三木町34−98 | |
飯野山神社 | 宮城県石巻市飯野字外吉野戸場127 | |
御食神社 | 新潟県佐渡市宮川793 | |
大膳神社 | 新潟県佐渡市竹田561 | |
摩氣神社 | 京都府南丹市園部町竹井字宮ノ谷1 | |
大兵主神社 | 奈良県桜井市穴師 | |
丹生都比賣神社 | 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230 | |
八所神社 | 新潟県胎内市乙1120 | |
菅原神社 合祀 八社 | 新潟県上越市清里区菅原108 | |
總社 | 岡山県総社市総社2−18−1 | |
爾自神社 | 長崎県壱岐市郷ノ浦町有安触997 | |
太平山神社 | 栃木県栃木市平井町659 | |
敬満神社 | 静岡県島田市阪本4054−1 | |
厳島神社 | 広島県廿日市市宮島町1−1 | |
須加神社 | 三重県松阪市嬉野権現前町422 | |
皇大神宮別宮瀧原宮 境内 長由介神社 | 三重県度会郡大紀町滝原 | |
物部神社 鎮魂八神 | 島根県大田市川合町川合1545 | |
蠶養國神社 境内 五社稲荷神社 | 福島県会津若松市蚕養町61−1 | |
八雲神社 境内 飯豊和氣神社 遥拝殿 | 福島県郡山市三穂田町下守屋字上豊舘62 | |
那閉神社 境内 稲荷神社 | 静岡県焼津市浜当目3−14−13 | |
石清水八幡宮 境内 大扉稲荷神社 | 京都府八幡市八幡高坊30 | |
石上神宮 境内 七座社 | 奈良県天理市布留町384 | |
大神神社 境内 御炊社 | 奈良県桜井市三輪1422 |
【 御食津神:玄松子の祭神記 】