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富能加神社
ほのかじんじゃ
島根県出雲市所原町城山3549  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に
剣木瓜

式内社 出雲國神門郡 富能加神社
旧村社

御祭神
本牟智和氣尊 肥長毘賣尊
配祀 伊邪那岐命 伊邪那美命

島根県出雲市にある。
観光地「立久恵峡」の東1Kmほどの山の麓。
当社の背後にある王院山は史跡めぐりのハイキングコースになっている。

創祀年代は不詳。
式内社・富能加神社に比定されている古社。

垂仁天皇の御子・本牟智和気命
出雲大社に参拝するため、出雲国に来られ、
檳榔の長穂の宮に留まった時、肥長比売命を結ばれた。
その長穂の宮の古跡であるという。

明治までは、当地から北1Kmの場所に鎮座していたが、
明治44年、小野神社社地に移転した。
古社地の背後の星神山に二坪ほどの岩窟があり、
その中に社殿があったらしい。

配祀の伊邪那岐命伊邪那美命は小野神社の祭神だ。

まっすぐに伸びた急な階段を上がると境内。
イチョウの落葉が美しい。
境内社がいくつか並んでいるが詳細はわからない。
『神国島根』には、身曽岐社、稲荷社、小町霊社、金刀比羅社。


境内

社号標

鳥居

神門から参道

神門

拝殿

本殿

社日

社日と境内社、一番右手は稲荷だとわかるが。

富能加神社御由緒
主祭神 本牟智和氣尊 肥長毘賣尊
合 祭 伊邪那岐命 伊邪那美命
創立年代は不詳であるが、永久二年二月再建の棟札の ある処から見れば、鳥羽天皇以前に斎祀された事は明 らかである。社伝によれば延喜の御世には社殿も壮厳 にして朝廷の崇敬の篤かったのであるが、後兵乱の為 衰微し何時の頃からか安谷の星神山の中腹の厳窟に鎮 め奉り、麓に拝殿を設けて祭事を執行した。明治四年 十二月小野神社に代って所原、見々久の産土神社に指 定された(見々久は明治十七年六月御崎神社を産土神 社に定められ分離)又明治四十四年十二月、現在の小野 山麓に移転し小野神社を合祀する事となった。

−入口の案内−



【 富能加神社(印刷用ページ) 】

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