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形原神社
かたのはらじんじゃ
愛知県蒲郡市形原町八ケ峯39
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式内社 参河國寶飫郡 形原神社 |
愛知県蒲郡市にある。
名鉄蒲郡線・形原駅の西1Kmほどの八ケ峯に鎮座。
蒲郡市公園グランドの南側に、
道路に面して東向きの大きな鳥居が立っている。
鳥居をくぐり、参道を進んで階段を上ると境内。
境内は大沢山の中腹。
参道は100mほどはあるだろうか。
階段上にも鳥居が立っている。
その鳥居をくぐると、右手奥に社殿。
よって社殿の向きは南向き。
拝殿は銅板葺入母屋造の大きな構え。
拝殿の後方には、垣に囲まれて流造の本殿がある。
参拝は年末の休日。
社殿前には角松が飾られていた。
拝殿の斜め前には土俵がありブルーシートに覆われていた。
社伝によると、舒明天皇十一年(639)、
東夷鎮定の大将であった藤原千方が当地に駐屯し
荒地を開拓して、山麓に大和国から勧請した埴安神を祀ったのが創祀。
現在は山の中腹だが、元は山麓の東南の平地に鎮座していたという。
藤原千方は都へ帰った後にも祭祀料二石を奉献。
皇極天皇から「形原神社」の社号を賜り、
村落を「雲見宮内の庄」と称したという。
『日本総国風土記』によれば、
「皇極天皇壬寅(642)十二月、圭田を奉り、神礼を加う」とある。
『参河国神階帳』に従四位形原明神とあり、
式内社・形原神社に比定されている古社だが、
江戸時代には春日明神と称されており、荒廃していたらしいが
天保の頃には復興されたという。
明治五年十月郷社に列し、大正十二年八月十七日県社に昇格した。
昭和二十年一月、三河地震により社殿が被災したが
その後、復興された。
境内の白い神馬像には菊紋が刻まれていたが、
社殿の屋根には桐紋が付けられていた。
拝殿の左手に境内社があり、雰囲気としては招魂社か祖霊社。
拝殿の右斜め前方にも祠らしきもの。
社頭の案内には、境内社として天照皇大神と白山社の名が記されている。
『式内社調査報告』によると、祖霊社と白山社が合殿に祀られている。
社頭 |
鳥居 | 参道 | 参道 |
境内 |
境内社 | 拝殿 |
神馬像 | 本殿 | 拝殿 |
延喜式内社 形原神社
愛知県蒲郡市形原町八ヶ峯三九
−社頭案内板− |