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百沼比古神社
ももぬまひこじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町百浦ヘ48
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式内社 能登國羽咋郡 百沼比古神社 |
石川県志賀町にある。
志賀町役場から日本海岸に沿って、北西に4Kmの百浦に鎮座。
海岸近くの道のそばにあり、境内入口は北西向き。
境内の社殿は、南西向き。
洋風なイメージの社殿で、本殿は、この中にある。
創立年代は不詳。
由緒も不詳だが、式内社・百沼比古神社に比定されている神社。
祭神は、百沼比古神で、
昔、桃の木の船に乗って、当地の海岸へ着船した、当地開拓の神。
ゆえに、当地は、百浦(ももがうら)と呼ぶ。
漂着したのは三兄妹の神々で、
兄神は当社へ、妹神は安津美の奈豆美比咩神社と、
矢駄の加茂神社にそれぞれ鎮座したという伝承があるらしい。
ただし、奈豆美比咩神社の伝承では、
百浦に漂着したのは四姉妹の神々となっている。
合祀の大鷦鷯命は、明治四十二年に合祀された若宮神社の祭神。
中世、当地が山城国賀茂別雷神社の社領となり、
賀茂明神とも呼ばれていた。
社域 |
境内入口 | 社殿 |
百沼比古神社由緒
社伝に云う当社、百沼比古神社は延喜式内の官社なり。 古昔、百沼比古神、桃の木の船を召されて当村の海辺に着き給う、よって村名を〔百が浦ももがうら〕と云う。 〔桃が〕の〔が〕は〔の〕に通じ〔の〕は〔ぬ〕に通ず、百沼比古神、着き給う所なるを以って〔ももぬうら〕といいしを後世〔百が浦〕と転称、いま村名〔百浦 ももうら〕と云う。 その創建は大神この地に着き給い、賊を平定、村民を愛し、農耕、漁獵の道を拓き遂にこの地に薨じ給う。 村民御神霊を崇め祀りて祠を興す、これ百沼比古神社の創始なり、時に崇神天皇御宇と伝う。 嘉祥三年八月より数度、国内諸神と共に班幣に與る。 朱雀天皇天慶三年正月授従五位。 後円融天皇永徳元年二月授三位。 明治四十二年同村の若宮社を合併する、九月十一日の秋祭りは〔火焚きまつり ほだこまつり〕として有名。 この地方に於ける神幸祭の〔お火濯ぎ おひすぎ〕は当神社の〔火焚まつり〕がその起源である。 −『平成祭データ』− |
【 百沼比古神社 (志賀町)(印刷用ページ) 】