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神崎神社
こうざきじんじゃ
千葉県香取郡神崎町本宿1944  Zenrin Data Com Maps display !!
ここは神崎 森の下 梶をよくとれ船頭どのよ
主の心と神崎の森 ナンジャモンジャで気が知れぬ
 -船頭唄-

五三の桐

式外社 子松神 三代実録
旧県社

御祭神
天鳥船命 少彦名命 大己貴命 配祀 面足命 惶根命

千葉県神崎町にある。
下総神崎駅の北西1.5Kmほどの神崎本宿に鎮座。
利根川のすぐ南、神崎大橋の近くに境内がある。

356号線の神宿交差点から当社境内へ入る車道があるが、
表参道入口は、交差点の少し東。
356号線に面して階段があり、階段上に鳥居が建っている。

階段を上り、木々に囲まれた参道を進む。
当社の境内は広大な森で、全域が天然記念物になっている「神崎の森」。
その森を抜ける参道を進むと、広い境内があり、
境内中央に大きな拝殿がある。

拝殿の後方に、流造の本殿。
拝殿の右手には、天然記念物の大樟「なんじゃもんじゃの木」が聳えている。
延宝二年(1674)四月、水戸光圀が当社へ参詣した折、
「この木は何というもんじゃろうか」と自問し感嘆したといい
それ以来「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったという。
境内案内では「クス」とあるが、『明治神社誌料』では「山桂樹」。
昔は、湯津桂と記されていたようだが。

創祀年代は不詳。
社伝によると、白鳳二年、
常陸国・下総国の境、大浦沼の二つ塚より現在の地に遷座。
現在地は、小松村字神崎の双生山と云ったらしく、
当社は、三代実録記載の子松神(小松神)であるという。

陽成天皇元慶三年四月、従五位下を授けられ、
朱雀天皇承平二年、国司に勅して社殿を修営、
神田三十六町を寄進された。

明治維新に際し、神崎神社と改称。
明治六年九月郷社に列し、大正十年県社に昇格した。

『明治神社誌料』には祭神に天鳥船命が含まれていないのだが
県社昇格に際して、祭神の見直しがあったのだろうか。

神宿交差点から北上する西側参道に八坂神社がる。
当社の境内社というわけでは無いようで、
『平成祭データ』にも別の神社として記載されているが、
『明治神社誌料』には境内社に八坂神社の名が見える。
あるいは、境内に別の八坂神社があるのかもしれないが。

表参道には三峯神社が祀られており、
参道脇には活き活きとした表情の狛犬。

境内左手では工事の最中だったので、
邪魔にならないように参拝。
よって、境内左側はよく見ていないのだ。
他に境内社があるのかもしれない。


社頭

参道

狛犬

狛犬

境内

社殿

拝殿

神木の大樟
なんじゃもんじゃの木

なんじゃもんじゃの木 主幹
明治四十年の火災で切断


本殿

なんじゃもんじゃの木

境内社・八幡神社か?

地主稲荷

参道の三峯神社

西側参道にある八坂神社

神崎神社御由緒
神崎神社は、天武天皇の白鳳二年二月朔日、常陸国と下総国の境、大浦沼二つ塚より現在の地に遷座した。
旧号を子松神社と称し、平安時代の史書「三代実録」にも記載されており、以後六所鎮守・神崎大明神・神崎大社等と称されていたが、明治元年以降、神崎神社と改められ今日に至っている。
元亀・天正のころまで神領七百町歩を有した。
徳川時代は、代々御朱印二十石を寄せられた。
明治六年八月、郷社に列せられ、大正十年、県社に昇格した。産業守護、交通安全、航空・航海安全の神としてひろく信仰されている。
七千坪あまりの境内は、神崎森と呼ばれ、山の姿が『ひょうたん』に似ているところから、『ひさごが丘』『ひょうたん山』『双生山』『双子山』などとも呼ばれている。常緑の原生林で、学術上も貴重なめずらしい森林植物相をもち、シイ・ツバキ・クス・カシ・ケヤキ・エノキ・スギなどの大木が、うっそうと桂冠をなしている。
昭和十年八月二十三日に、森全体が千葉県の天然記念物に指定された。
<御祭神>
天鳥船命(アメノトリフネノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
大貴己命[原文ママ](オオナムチノミコト)
面足命(オモタルノミコト)
惶根命(カシコネノミコト)
<祭典行事>
例祭/五月六日・御扉開祭/一月四日・節分祭/二月節分夜・御舟木祭/三月中の午の日・御田植祭/四月第二日曜日・流鏑馬祭/五月五日・新嘗祭/十一月二十三日
『なんじゃもんじゃ』(神崎の大クス)
社殿の右の御神木なんじゃもんじゃの木は、大正十五年十月十日、国指定の天然記念物となり、そのめずらしい呼び名で全国的に知られている。
この名は、延宝二年、水戸光圀、当社に参拝の折、この大木を見て「この木はなんというかな、さて何というもんじゃろか」と自問自答して感嘆されたことによると伝えられる。
古来、多くの文人墨客の筆になり、水戸光圀の「甲寅紀行」、赤松宗旦の「利根川図志」、高田與清の「鹿島日記」、宮負定雄の「下総名所図絵」、清宮秀堅の「下総国式社考」「北総詩誌」、清水兵臣「総房日記」、喜多村信節の「嬉遊笑覧」など古今の文書に散見している名木である。
明治四十年十二月二十六日、御社殿、火災の際この木に延焼したため、主幹は高さ十メートルほどで切断されているが、十三メ−トルもの幹まわりは、当時の大きさを今に残している。
現在は五本のひこばえが親木をとりまき、樹勢ゆたかにおいしげっている。
樹齢は約二千年といわれている。(牧野富太郎博士推定)
神代よりしげりてたてる湯津桂さかえゆくらむかぎりしらずも(鹿島日記)
(湯津桂…なんじゃもんじゃ)

−『平成祭データ』−




神崎神社
白鳳時代に大浦沼二つ塚より現在の地に 遷座し、明治6年に郷社、大正10年県社に 昇格した。7000坪あまりの境内は「神崎の森」と呼ばれ、 全域が県の天然記念物に指定されています。 また、本殿脇には国指定天然記念物の「なんじゃもんじゃの木」があります。 御祭神は天鳥船命少彦名命大己貴命面足命惶根命であり、 交通・産業守護の神として深く信仰されています。

−参道案内板より−



【 神崎神社 (神崎町)(印刷用ページ) 】

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