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更杵神社
さらきねじんじゃ
兵庫県朝来市和田山町寺内字宮谷  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國養父郡 更杵村大兵主神社
旧村社

御祭神
素盞嗚尊

兵庫県朝来市にある。
JR・和田山駅の北2Kmほどの和田山町寺内に鎮座。
9号線を北西に進み、円山川にかかる糸井橋を越えて
10号線を北東へ進む。
郷土歴史館のある通りに入ると、
郷土歴史館の少し東に当社参道入口がある。

参道入口には社号標か燈篭が立っていたが
車を停めなかったので、写真がない。残念。

その参道入口を入って少し登ると、
道路の左手、林の中に当社境内がある。
細い歩道の参道を歩くと鳥居が立っており
鳥居の奥、杉木立の中に祠が一つ。
祠の中に、本殿の小祠が祀られている。

『但馬郷名記』によると、
持統天皇四年(690)、養父兵団の置かれていた
更杵に兵主神を祀ったのが、当社の創祀。

しかし、それ以前の天智天皇の御宇、
養父郡の小領日下部都牟自(孝徳天皇第二皇子表米の嫡子)が
当社の祭典を盛大に催したという伝承もある。

近世にいたり、更杵集落が衰退し
当社は取り残されて荒廃していたが、
幕末の頃、当社の再建と移宮をめぐって
寺内と林垣の対立があったが、
結局、現在地に遷座された。
古社地は不明だが、かつての更杵集落は、
現在の和田山町室尾あたりであったという。

「更杵」の名称は、
天日槍の岳父・前津耳の子孫である佐良公が
この地に住んでおり、佐良公村が更杵村となったという。

式内社・更杵村大兵主神社の論社の一つ。
明治の神社改めの際に、社殿や境内の貧弱さから
式外社とされてしまったという。


境内

鳥居

境内

覆屋

本殿


【 更杵神社 (和田山町)(印刷用ページ) 】

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