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天忍穂別神社
あめのおしほわけじんじゃ
高知県香南市香我美町山川字スミガサコ
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式内社 土佐國香美郡 天忍穂別神社 |
香我美町(現香南市)にある香宗川沿岸にある。が、非常にわかりにくい。
地図で位置を確認すると、55号線側にある月見山の横から
北上する道があり、6Kmほど北へ進むと、香宗川へでる。
その辺りにあるはず。
そのルートが最短のようであり、その道を進む。
ところが、カブリ石峠を越えるこの道、非常に狭い。
車一台がやっと通れる山道でガードレールも無い。
対向車の無い事を願いながら、注意して徐行で進み、
やっとの思いで、香宗川沿岸の道に出た。
その道は、比較的広く、東へ行くと、千舞温泉などもある道。
路肩へ車を止めて、対岸の山中にあるはずの神社への道を探すが見あたらず。
山への侵入路を探していると、猟銃を担いだ方に遭遇。
仲間達と猪を追っているようだ。天忍穂別神社への道を聞くと、
「天忍穂別神社というかどうか知らんが、
この辺りで由緒のある神社といえば、石舟様だろう。」
ということで、その石舟様まで、車を先導していただく。
峠越えで狭い道から出てきたポイントから少し西へ進み、
川を越えて、山中へ進む。案内も何もない道を進むと、
鳥居前にある駐車場へ到着。ということで言葉では説明できない。
創祀年代は不詳。
式内社・天忍穂別神社に比定される古社。
地元では「石舟様」と言われる神社。
祭神は天忍穂耳尊。相殿に御子神である饒速日尊となっている。
物部縁の神社で、饒速日尊は、後に合祀された石舟神社の祭神。
饒速日尊が乗ってきた石舟が今も残っているということだが、
参拝時には、あまり気にしなかったため見落としてしまった。
伝承では父神・天忍穂別命の鎮座している地に、
父神を慕って饒速日尊が天然に石舟に乗って飛来し相殿に鎮まったという。
『皆山集』に「神社不思儀之事」として以下の記述がある。
面白いので紹介。
一、 | 神社ノ空ニオイテ不時太鼓ナリ、或ハ御内陣ノ金幣ナリ動ノ事。 |
一、 | 天明二年九月十九日不浄ノ人参詣シ、挙頭ノ折柄、下庭落、即死、其跡神社数日動ナルノ事。 |
一、 | 天気閑静ナル時深更ニ及、境内斗リ大風、社棟ニ吹付ク事。 |
一、 | 去春五更ノ頃、神拝ノ節一ノ神門ニ至ル時、祈声高ス、二ノ神門ニ至レハ消声ス、但百人斗ノ声ナリ。 |
一、 | 浪人者、通夜トナヅケテ殿内ニ至ル時、忽神社震動シ神門ノ外ニ転臥ノ事。 |
一、 | 去冬、不浄人常夜有レ之所、拝殿エ大ナル牛ニ似タル者出タ事。 |
地元では、小学生が遠足で、訪れるらしいが、
なかなか、霊験のある神社のようだ。
社格は県社であったが、後に郷社になったとらしい。
また、あの峠道を戻るのは嫌だったので、
先導していただいた方に、55号線へ戻る道を聞くと、
川沿いの道路を西へ行くと、広い道に出るということ。
言われたとおりに進むと、そのまま30号線に出た。
ショックだった。
鳥居から、真っ直ぐに伸びる階段は、非常に長い。
先が見えないといえば、大げさだが、とにかく長い。
階段を注意しながら登って行くと、拝殿が見える。
境内は、それほど広くない。拝殿後方に石垣が組まれ、その上に本殿。
境内右手には、境内社・棚機神社がある。
祭神は栲幡千々姫命。祭神天忍穂耳尊の妃で、
饒速日尊の母神となっている。
鳥居横の社号標 | 鳥居 | 参道階段 |
長い階段 |
階段上の拝殿 | 拝殿 |
大松 | 本殿 | 棚機神社 |
町指定史跡 天忍穂別神社 天忍穂別神社は式内社で土佐に 来た物部氏によって、祭神、天忍穂耳尊、相殿饒速日尊の二神が祀られて いる。鎌倉時代以後は饒速日尊が天 磐船に乗って天降った伝説により石船神 社と呼ばれたが、谷泰山の調査(一、七〇 五年)再興後、天忍穂別神社と 称している。 石舟さま由来 昔天照大神のお孫様で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かり給 い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。 饒速日命は、まず、河内の国のある山にお降りに なり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまり になって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになり ました。土佐へ初めてお降りになったのは、物部川 下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ 西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川 の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きにな ったといいます。 舞川の地石は、この神様がお休みになった時舞楽 をなされた跡で、長谷の小村には烏帽子(えぼし) をかけられたという烏帽子岩があり、今のお社の南 の谷はお冠を取られた所でカットリといいます。北 の谷は杖谷といい、命(ミコト)がホコを置かれた 所。その側の首珠が佐古は、お首飾を置かれた所と いわれます。 饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手に あり、巨大な自然石の舟型をしております。又付近 には、船乗り達が献納した小さな石舟がどっさり置 かれています。この小さな多くさんの石舟たちが物 語る様に、航海の安全を守る舟神様であると共に 疱瘡(ほうそう)様の神様としても知られておりま す。 −境内案内板より− |