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赤穂神社
あかほじんじゃ
奈良県奈良市高畑町1320  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國添上郡 赤穂神社
旧村社

御祭神
天兒屋根命 天満天神 弁才天

奈良県奈良市にある。
春日大社神苑の南にあり、普通の民家が並ぶ路地に鎮座。
境内入口は北向きで、鳥居は無い。
ブロック塀の間に「式内赤穂神社」と刻まれた社号標が建っている。

境内の社殿は西向き。
拝殿と云うか、庇の奥に赤い小祠が二つ並んでいる。

『式内社調査報告』によると、当社の本殿は、この二祠らしいが、
向って左側の小祠には「天満宮」と「弁財天」、
右側の小祠には「赤穂神社」と書かれた木札が付けられており、
右側の小祠が本社と想定されているようだ。

創祀年代は不詳。
式内社・赤穂神社に比定されている古社。

『日本書紀』に天武天皇七年四月十四日、十市皇女を
十一年一月二十七日、氷上婦人を赤穂に葬ったとあり、
この「赤穂」は当地のことであるといい、
女人を葬る地、女人守護の霊験があるという。

入り口に「ご自由に、御参拝下さい。」とある。何故か、うれしい。


境内

天満宮と弁才天

本殿

式内社 赤穂神社の由来

 古来、高畑町の春日社神官邸町の西端の地に鎮座して 久しく里人の尊崇を受け給ふ。
 平安時代「延喜式」所載の古社にしてかの二月堂お水取り に読み上ぐる神名帳にも赤穂明神とあり、連綿今日に 至るまで読誦せらるゝ古例なり。
 上古、天武天皇紀六年に十市皇女を同十年に氷上ノ夫人を 「赤穂ニ葬ル」とあるは蓋しこの地辺ならむ。もと社 広大にして数百余坪 桜樹多く 幕末頃まで 桜田の 地名ありき。近世の記録には天児屋根命を祀るとせるも 加ふるに、「高貴の姫君を葬る」と口碑伝承あるはいと 久しく女人守護の霊験久しかりし証なり。
 明治御一新の後、この里荒廃し二百戸近き社家・祢宜の 大半は離散して築地塀のみ虚しく残り、秋艸道人、堀辰雄 らの文人哀惜の詩文あり。されど、より深く嘆きまさりし 里人有志、滅びゆく天満宮址・弁才天を合祀して赤穂社の 左に配し、今に二社併存す。昭和五年以来、この地の 産土神鏡神社の別社となり、地元有志再興の至誠を注ぎ つ、今日に至る。神徳の長久を仰ぎ先人の篤信を継承して 復興の機運を待望する所以なり。

昭和五十二年九月十八日 例祭の佳日
赤穂神社 地元奉賛有志
鏡 神社・赤穂神社 宮司 梅木春和

−境内由緒書き−



【 赤穂神社(印刷用ページ) 】

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