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牟佐坐神社
むさにますじんじゃ
奈良県橿原市見瀬町字庄屋垣内718
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岡寺駅のすぐ西側にある。
丘全体が境内のような感じだ。
駅のすぐ側なので、鬱蒼としたイメージはない。
式内社・牟佐坐神社に比定されている古社。
元は、久邇郷牟佐村築田にあり、
安康天皇の御代、牟佐村主青が、生霊神をここに奉祀した。
一説には、壬申の乱で大海人皇子軍が金綱井で戦った時、
高市県主許梅に、身狭社(むさ)の生霊神が神がかり
勝利に導いたので、篤く祀られたという。
元来、生霊神を祀る神社であったと思われるが、
近世には、境原天神と称し、天児屋根命と高皇産霊命を祀り、
あるいは、菅原道真を祀る天神社とも呼ばれていた。
また、天神宮とも春日明神とも呼ばれており、
明治初期に、生雷と思兼神を祭神としたが、
その後、当地が孝元天皇の軽境原宮跡に治定されてからは
高皇産霊命と孝元天皇が祭神となった。
拝殿から高い塀が周囲を巡り本殿が良く見えない。
手を伸ばし撮影はしたが木々が邪魔で見えない。
境内案内には飛鳥坐神社の連絡先が書かれているので、
飛鳥坐神社が管理しているのだろう。
鳥居 | 階段上の鳥居 |
拝殿 |
拝殿から境内 | 境内社 |
牟佐坐神社 祭神 高皇産霊命,孝元天皇 例 祭 十月九日 新年祭 一月八日 月次祭 毎月九日 由緒沿革 日本書紀天武天皇紀は安康天皇の御代 牟佐村(現見瀬町)村主 青の経営であった。 当時の祭神は生雷神(即ち雷公)であり 江戸初期まで榊原(境原)天神と称されていた。 享保の頃に菅原道真公を祭神としたが明治に至り 古道再び明らかにと天津神である高皇産霊命を 奉祀して今日に至る。 境内は孝元天皇の即位された宮地と伝えられている。 −境内案内より− |
【 牟佐坐神社(印刷用ページ) 】