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履中天皇 |
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履中天皇
りちゅうてんのう
別名
大江之伊耶本和気命:おおえのいざほわけのみこと
大兄去来穂別天皇:おおえのいざほわけのすめらみこと
……
りちゅうてんのう
別名
大江之伊耶本和気命:おおえのいざほわけのみこと
大兄去来穂別天皇:おおえのいざほわけのすめらみこと
……
- 第十七代天皇。第十六代・仁徳天皇の第一皇子。
母は『古事記』では葛城の曽都毘古の娘・石之日売、『日本書紀』では磐之姫命。
- 履中天皇が皇太子であった頃、羽田八代宿禰の娘・黒媛を妃としようとして弟の住吉仲皇子を遣わしたが、
仲皇子は皇太子と偽って黒媛を犯し反逆した。
弟の瑞歯別皇子(のちの第十八代天皇・反正天皇)が木菟宿禰とともに住吉仲皇子を殺した。
- 磐余の稚桜宮(伊波礼の若桜宮)に坐して、天下を治めた。
- 『古事記』では、
葛城の曽都毘古の子、葦田宿禰の娘・黒比売命を娶って、市辺の忍歯王、御馬王、青海郎女(飯豊郎女)を生んだ。
- 『日本書紀』では、
葦田宿禰の娘・黒媛を皇妃とし、磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女(飯豊皇女)を生んだ。
また、草香幡梭皇女を妃(のちに皇后)とし、中磯皇女を生んだ。 - 瑞歯別皇子を皇太子とした。
- 車持部が筑紫に行き、勝手に人民を調査して貢納物を徴収し、宗像三女神の怒りをかって妃(黒媛)が亡くなった。
そこで、車持部を追放し、あらためて宗像三女神を祀った。
- 初めて諸国に国史(書記官)を置かれ、諸国の情報を報告させた。また蔵職(令制の内蔵寮にあたる)をたて蔵部を定めた。
- 御陵は、百舌鳥耳原陵(河内の毛受)。
【 履中天皇:玄松子の祭神記 】