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上一宮大粟神社
かみいちのみやおおあわじんじゃ
徳島県名西郡神山町神領字西上角330  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に抱き粟

式内社 阿波國名方郡 天石門別八倉比賣神社 名神大 月次新嘗
阿波國一宮
旧郷社

御祭神
大宜都比売命
(天石門別八倉比売命 大粟比売命)

『明治神社誌料』
大宜都比賣命 仁徳天皇
大山祇命 大粟比賣命 天石門別八倉比売命

徳島県名西郡神山町。
徳島市内から国道438号線を西へ進む。
佐那河内から神山にかけての道は、非常に狭く、離合も困難な道が続く。
神山町へ入ったあたりから道が広くなり、
道路脇にある「木の町、神山町」という看板通り、
森林に囲まれた道を走る。

途中、左折して脇道へ入ると、正面の山、
霧のかかった大粟山の麓に大きな鳥居が見えてくる。

鳥居をくぐると、緑の参道が真っ直ぐに上まで続いている。
参道右手には、車道があるので、車でも上る事ができる。
とりあえず、車道でのぼり、境内から階段の参道を下りて見た。
早朝のためか、草や苔が滑るが、靄の中の参道は神秘的だ。

通称は、大阿波さん。
御祭神・大宜都比売命が伊勢国丹生の郷より神馬に乗り
八柱の供神を率いて阿波国に移られ国土を経営し、
粟を蒔き、当地一帯にひろめられたという。

当社の宮司であった小笠原氏は
姓を一宮と改めたとも言われているが、
『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、
当社も阿波國一宮の候補として挙げられている。
徳島市内の一宮神社は当社の分祀であり、
当社は上一宮と称する点を根拠にしているが、
一宮家の私的な神社なのではないだろうか。

一宮となるほどの霊験のある神社なら、
中世の一宮制が体制として確立する以前の社名
本来の祭神を表わす社名を捨てて「一宮神社」などと
改名することは有り得るのだろうか。
他国の一宮で、一宮神社と改称したものはないし、
通称一宮と称する神社は、ほとんど郷の一宮だが。

ただし、阿波國で最も社格の高かった
天石門別八倉比賣神社が当社のことであるなら、
一宮的地位にあっても不思議ではない。

と、参拝前には、いろいろ考えた事はあったのだが、
そんなことより、大粟山中腹に鎮座し、
鬱蒼とした木々に囲まれた社域は、
まさに神域そのものだった。
木洩れ日までが、神々しい。

「上一宮」と称するのは、一宮氏の城内に当社の分霊を祀り
「下一宮」と称したからというが、
この「下一宮」が徳島市の一宮神社だろうか。

大粟山では、神宮寺と隣り合わせに鎮座しており、
神仏混合の匂いは濃厚。

境内は広く、参道正面に拝殿がある。
後方の本殿が、真っ赤なのがちょっと気になるが、
本殿後方の高い場所の木に注連縄があるのがもっと気になる。
山頂に何かが密かに祀られている感じがしたが、
案内板をよく読むと、神山大杉と呼ばれる御神木だった。


霧の大粟山、中央に大鳥居が見える

大鳥居

参道の鳥居と神門

木洩れ日の車道

参道上から

社殿

社殿

境内

赤い本殿

本殿後方の御神木

瑜伽大権現

大師堂

御縁起
鎮座地名西郡神山町神領字西上角三三〇
おおげつひめのみこと又の御名
御祭神大宜都比売命天石門別八倉比売命
大粟比売命
御例祭歳旦祭(一月一日)
例大祭(一月十日)
祈年祭(四月十一日)
新嘗祭(十二月十一日)
一、 古事記によると大宜都比売命は粟国(阿波)を開かれた祖神で五穀 養蚕の神として古代から農耕を守り生命の糧を恵み続けられています
一、 神亀五年(七二八)聖武天皇御勅願所となり 元暦二年(一一八五)御祭神に 位階正一位を給い 以来正一宮大明神として広く崇敬されてきました
一、 旧事記によると当社の古代祭官は応神天皇の御代に千波足尼が国造 を拝命し以後三十四世にわたって祭事を司りましたが時の祭官一宮宗成 に代って歴応四年(一三四一)阿波守護の小笠原長宗が祭官となり後に一宮 大宮司となり その子成宗の代に一宮町に当社の分霊を勧請して一宮 神社を創建しました 蜂須賀家政は当社に二度も参拝し 代々の 藩主も深く尊崇していました
一、 今に残る江戸時代の十四枚の棟札(最古寛文十三年)からも社名が 一宮明神 田ノ口大明神 大粟上一宮大明神 上一宮大明神などと 変った事がわかります 明治三年(一八七〇)埴生女屋神社と改めら れたが 明治二十八年(一八九五)氏子の請願によって現在の上一宮大 粟神社に確定されました
撰 宮司 阿部千二
氏子会
大粟山保勝会
  邪馬台国と大宜都比売命
全国的に話題を呼んでいる邪馬台国阿波説の論拠として 日本 最古の書 古事記と魏志倭人伝の記述が一致する根元に 阿波は食物 五穀を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり 高天原(神話)の物語は すべて阿波(おおげつひめ)が舞台となっている 古代国家にとって最も 重要な食物を司る穀霊が阿波の別名であるところにその論拠があり 近年古代研究者が注目し その調査研究に訪れる所以であります
    昭和五十九年九月吉日
発起
協賛
古代神山研究会
神山町
神山町観光協会
大宜都会

−境内案内−



【 上一宮大粟神社(印刷用ページ) 】

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