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稲積六神社
いなずみろくじんじゃ
大分県宇佐市中561  Zenrin Data Com Maps display !!


御祭神
伊弉册尊 速玉男命 事解男命
国常立命 火産霊命 彦火々出見命

10号線から耶馬溪へ向う44号線(宇佐本耶馬溪線)を南下。
しばらく走ると、眼前に円錐形の典型的な神奈備山が見える。
南下して、5Kmほどの場所にある稲積山だ。
稲積山の麓、伊呂波川の側にある神社が当社。
神社への道は狭く、車一台がやっと通れる幅。

宇佐神宮に関する辛嶋氏伝承では、八幡神は、欽明天皇の御代、
宇佐郡辛国宇豆高島に天降り、大和国の膽吹嶺に移り、
紀伊名草海島、吉備神島と渡って、宇佐郡馬城嶺に現われ、
乙咩社酒井泉社瀬社鷹居社小山田社現社地へと移ったとする。

その「宇佐郡辛国宇豆高島」が、この稲積山ではないかと、
「八幡信仰」において中野幡能氏は指摘する。
山の北側に「スエ村」があり、古くから辛嶋氏が居住した地。
また、修験道とも関連の深い山である。
求菩提山で千日行を行う修験者は、高瀬村ヤハタ八幡宮の海岸で禊をし
ここ、稲積山権現参拝で峰入行を終了する。

稲積山という名からは稲荷系を連想するが、祭神は熊野系。
それが原始八幡信仰と関連があるというのも面白い。


44号線南下中に見える稲積山

境内入口

鳥居扁額に「稲積山権現」

境内と拝殿

本殿

本殿

境内には多くの石祠があり、鳥居も幾つか。
それぞれの鳥居に境内社の社号を刻んだ扁額があるのだが、
よく読めなかった。残念。


水本?神社

?丸川之?神社

天?宮

境内社と鳥居

境内社と鳥居

境内社と鳥居

境内社

稲積六神社由緒記
祭神 伊弉册尊 速玉男命 事解男命
国常立命 火産霊命 彦火々出見命
鎮座 前記三神ハ大和時代文武天皇御代慶雲三年 稲積山上鎮座(西暦七〇六年)
後記三神ハ平安時代仁明天皇御代承和七年 鎮座(西暦八三四年)
遷座 鎌倉時代花園天皇御代応長四年(西暦一三一四年) 山上ヨリ現在ノ宮地ヘ遷座ス
祭事 維新前迄ハ旧時枝領主小笠原信濃守ノ 祈願所ニシテ毎歳一度家宰代参武運 長久領中安全五穀豊穣晴雨祭執行 セリ領中ノ大庄屋並ニ十五ヶ村ノ庄屋 組頭等ニ至ル迄礼服着用参拝セシニ 今ハ止ム
何レノ頃ヨリ神幸祭始マリシカ詳カナラザルモ 古文書年代記等ニヨレバ大内義弘豊前 ヲ管シタルマデハ稲積山麓字申シ戸ヨリ 千日山轟ノ橋ニ神幸スト云ヘリ
文化年中迄執行セシガ故アリテ中絶明治 二年復活セルモ明治四十年再ビ中止今日ニ至 ル復活後ハ現在ノ宮地ヨリ字梅川原ヘ神 幸スト云フ

−境内案内より−



【 稲積六神社(印刷用ページ) 】

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