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氣比神宮
けひじんぐう
福井県敦賀市曙町11−68

社殿左手に鳥居があり、奥に境内社が並ぶ九社ノ宮。

まず、北向きに、二社。
摂社 伊佐々別神社(伊奢沙別命荒魂)。
末社 擬領神社稚武彦命)。

続いて、東向きに、七社の御子神。北(写真奥)から、
式内摂社 天伊弉奈彦神社(第七之王子宮:伊佐奈彦神)。
式内摂社 天伊弉奈姫神社(第六之王子宮:天比女若御子神)。
式内摂社 天利劔神社(第五之王子宮:天利劔大神)。
末社 鏡神社(第四之王子宮:神功皇后宝鏡・天鏡尊)。
末社 林神社(第三之王子宮:林山姫神)。
末社 金神社(第二之王子宮:素盞嗚尊)。
末社 劔神社(第一之王子宮:姫大神尊)。

ところで、第五之王子宮から第七之王子宮までが、式内社に比定されているが、
どうして、第一之王子宮・劔神社が、式内・劔神社ではないのだろうか。

九社の他にも、最奥部、南向きに、神明社外宮・内宮がある。


ズラッと並んだ九社ノ宮

神明社

伊佐々別神社

擬領神社

天伊弉奈彦神社

天伊弉奈姫神社

天利劔神社

鏡神社

林神社

金神社

劔神社

境内の東側、東参道・駐車場の脇に土公がある。
天筒山(祭神の霊跡)の遥拝所であり祭神の降臨地。古殿地とされている。


土公と天筒山

氣比宮古殿地の事
氣比神宮境内東北部に位置し当神宮鎮座にか かる聖地として古来より「触るべからず 畏 み尊ぶべし」と社家文書に云い伝えられてい るが 嘗て天筒山の嶺に霊跡を垂れ更に神籬 磐境の形態を留める現「土公」は氣比之大神 降臨の地であり 傳教大師・弘法大師がここ に祭壇を設け七日七夜の大業を修した所とも 伝えられる
土公は陰陽道の土公神の異称で 春は竃に夏 は門に秋は井戸に冬は庭にありとされ 其の 期間は其所の普請等を忌む習慣があったが此 の土砂を其の地に撒けば悪しき神の祟りなし と深く信仰されていた 戦後境内地が都市計 画法に基づき学校用地として譲渡の已む無き に至ったが土公と参道はかろうじてそのまま の形で残された 大宝二年(七〇二)造営以 前の氣比宮は此の土公の地に鎮座され祭祀が 営まれていた 此の聖域を通して氣比之大神 の宏大無辺の御神徳を戴くことが出来るよう 此のたび篤信者の奉賛により遥拝設備が立派 に完成されるに至った次第である

−社前案内板より−

東参道入口に、西向きに3社の境内社。

式内村社 大神下前神社大己貴命 合祀 稻荷大神 金刀比羅大神)
末社 兒宮伊弉册尊
式内摂社 角鹿神社都怒我阿羅斯等命 合祀 松尾大神)

西参道脇に、末社 猿田彦神社猿田彦大神)。
灯篭には、「庚申神社」と刻印されていた。

本殿の周りに祠(四ノ宮)が見えるが、どれがどれかはわからなかった。


式内 大神下前神社

末社 兒宮

式内摂社 角鹿神社

大神下前神社

兒宮

角鹿神社

猿田彦神社

庚申神社と刻まれた灯籠

本殿横の四ノ宮の一部?


【 気比神宮 氣比神宮 その2(印刷用ページ) 】

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