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杉杜白髭神社
すぎのもりしらひげじんじゃ
福井県福井市勝見2−1−6  Zenrin Data Com Maps display !!


八輪宝

式内社 越前國足羽郡 杉社郡神社
旧郷社

御祭神
猿田彦大神
配祀 伊弉冉尊 倉稲魂命

福井県福井市にある。
福井駅の南東1Kmほどの勝見に鎮座。
5号線(城の橋通り)に面して、境内入口の鳥居が立っている。

鳥居の右手には、「式内 杉杜白髭神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり真っ直ぐ進むと社務所。
右手に曲ると正面に当社の社殿がある。

社殿は総桧造りで、
平成八年、御鎮座千三百年記念事業として建て替えられたもの。
拝殿の扁額には「杉杜白髭神社」とあり、
賽銭箱には、神紋の八輪宝がついていた。

拝殿後方の本殿は、細身で背の高い印象。
スラッとしていると見るか、ひょろっとしていると見るか。

拝殿右手の境内社・宮比神社の社殿は
建て替え前の、当社本殿を移したもの。

参拝は、GW五月一日の早朝、六時前。
どんよりと曇った朝だったが、境内には多くの車が停まっており
社務所内には沢山の人々が集まって、
何かの神事か相談が行われている様子だった。

白髭の宮、白髭明神とも称される神社。

創祀年代は不詳。

社伝によると、桓武天皇の御代、
延暦年中に、坂上苅田麿が当地の国司であった頃、
当社を再建し、深く崇敬したという。

式内社・杉社郡神社に比定される古社。

当初は、足羽川右岸の木渕という地(通称モクサン渕)
に鎮座していたが水害により、現在地に遷座されたらしい。

『式内社調査報告』によると、坂上苅田麿の再建後100年頃、
当社の北西400mほどの手寄にある常休寺の地に遷座し
その後、享保の末に、現在地に遷座したと類推している。

一般に白髭神社と呼ばれる神社の祭神は
猿田彦神であることが多く、当社祭神も猿田彦神

日本書紀の神代、一書に素盞鳴尊が髭を抜いて放つと
杉になった、と記されており、素盞鳴尊が祭神であれば
杉と白髭が関連するのだが。

配祀の伊弉冉尊(元白山社)と倉稲魂命(元秋葉社)は
いつ合祀されたかは不明らしい。

明治八年郷社に列し、多くの宝物が収蔵されていたが
昭和二十年、戦災によってすべて焼失したという。


北側入口

拝殿

宮比神社

境内

本殿後方から

車で一杯だった

杉杜白髭神社由緒碑
杉杜白髭神社 祭神猿田彦大神 配祀 伊弉冉尊倉稲魂命
宮比神社(境内社) 祭神天鈿売命 配祀 迦具突知尊
例祭 春五月十七日 秋十月十七日 神紋 八輪宝
旧社格 郷社
特殊例祭 七夜祭盆踊り
御神徳
杉杜白髭神社 主祭神 猿田彦大神 開運、厄除け、家内安全、交通安全、商売繁盛、旅行安全
宮比神社 祭神 天鈿売命 夫婦円満、芸能の神
 由緒沿革
平安時代、桓武天皇の御代、延暦年間(七八二〜 八〇六)に坂上苅田麿が当国司であった頃深く当 神社を崇敬して再建したと伝えられる延喜式神名 帳に記載される式内社である。
苅田麿奉納の太刀一口をはじめ慶長六年越前国主 結城(松平)秀康の定紋付きの器物、寛永十二年 松平忠昌より鏡一面、剣一振の寄進あり、以来代 々の国主、藩主が篤く崇敬した。
往古は足羽川木渕に鎮座していたが水害により現 在の鎮座地に遷座したという。木渕の古跡は現在 の足羽川の流域右岸当神社より三丁余りを隔てた 通称モクサン渕である。
明治八年に郷社に列せられ昭和十一年に神饌幣帛 料供進神社に指定されたが、昭和二十年七月に戦 災で総桧造りの拝殿、本殿及び樹齢八百年ともい われたケヤキの大木などすべてを焼失した。昭和 二十四年に本殿、三十三年に拝殿を復興後、東鳥 居を新造、三十八年に手水舎、四十年に社務所、 四十二年に白髭会館を建設、五十四年に境内周囲 の玉垣及び南鳥居を御影石にて造り替え、平成元 年に神楽殿を建設、平成八年に御鎮座壱千三百年 記念事業として本殿、拝殿、幣殿を総桧造りにて 改築、同時に旧本殿を境内神社=宮比神社として 拝殿北側に移築鎮座した。

この度、杉杜白髭神社御鎮座壱千三百年式年大祭 を記念してこの碑を建立する。
 平成十二年五月吉日 皇紀二千六百六十年 西暦二千年

−境内由緒碑−



宮比神社
祭神 天鈿売命 神楽芸能の祖神
合祀 松岡町に在った秋葉神社祭神 火産霊神を享保二十年此の処に移し 更に明治四十年九月吉野下町秋葉神社 祭神迦具土の神を合祀した

−境内由緒板−



【 杉杜白髭神社 (福井市)(印刷用ページ) 】

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