[HOME]  >  [神社記憶]  >  [東海地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


左内神社
さないじんじゃ
静岡県三島市中島字西310−2  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 伊豆國田方郡 文梨神社
式内社 伊豆國田方郡 阿米都瀬氣多知命神社
旧村社

御祭神
阿米都瀬氣多知命

静岡県三島市にある。
伊豆箱根鉄道大場駅の西700mほどの中島に鎮座。
大場川と殿川に挟まれた場所。

大場駅から続く道路から、狭い路地を西へ入った突き当たり。
境内は東向きで、社殿も東向き。

梅名川(殿川)を挟んで、東岸に当社、西岸に右内神社がある。
当社と右内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、
三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していたもの。

旧社地は、現社地から北東300mにあったが、
明治19年の火災により焼失。翌年、現在地に遷座した。
旧社地は、手無(テナシ)という地名。

昔、若侍が夜更けにここを通った時、鬼女が現れ、若侍を襲った。
そこで、鬼女の手を切り落としたが、
夜が明けると、そこにあった地蔵の左手が、
田の中に転がっていたといい、手無の地蔵と呼ばれたという。

この手無(テナシ)は、テテナシの訛で、父無し(父梨)を意味し、
式内・文梨神社の文梨は、その父梨の誤植だと考えられ、その論社だ。

また、当社は天地宮(アメツチノミヤ)とも称しており、
式内・阿米都瀬氣多知命神社であるという説もある。
現在の祭神は、その阿米都瀬氣多知命となっているが、
三嶋大社御門の神として、櫛石窗命とする説もある。

拝殿には、五七の桐の紋が描かれていた。

落ち着いた雰囲気だが、輝いていた。
東向きの境内に朝日が差込み、社殿を照らしていたからだろうか。


参道

鳥居

境内

社殿

社殿

社号標

本殿

社殿から鳥居


【 左内神社 (三島市)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index