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朝椋神社
あさくらじんじゃ
和歌山県和歌山市鷺の森明神丁22  Zenrin Data Com Maps display !!
廣まへに 緑も深く枝たれて よにめつらしき 神かきの松

丸に抱き柏

式内社 紀伊國名草郡 朝椋神社
旧村社

御祭神
大國主命

大己貴命 『紀伊國名所図会』
天津羽々神 天石帆別神 『紀伊続風土記附録』

南海和歌山市駅の東、400m。
24号線から少し南へ入ったところにある。
町中の神社で、住宅に囲まれている。

南海和歌山市駅の側にある貸自転車屋のおじさんが
この社の氏子だということで、当社を含め、
当日参拝予定の神社の場所を、丁寧に地図を書いて教えてくれた。
さすがに貸自転車屋を営むだけあって、自転車での周遊に
適した道や目印・ポイントを押さえた地図で助かった。

境内はあまり、広くないが、末社も幾つかある。
静かな神社だった。

創祀年代は不詳。
式内社・朝椋神社に比定される古社。
紀伊国神名帳に「従四位上朝椋神」とある神社。

昔、境内に樟の大樹があり、いつも白鷺が群れ集まっていたことから
鷺ノ森ノ神社とも呼ばれていたという。
また、九頭大明神とも称されていたらしいが、
白鷺の伝承の樟(クス)と九頭(クズ)に関係があるのだろうか。

廣まへに緑も深く枝たれて よにめつらしき神かきの松
本居宣長が、朝椋神社の松を詠んだ歌だそうだ。

明治六年四月村社に列した。

流れ造の本殿は、周囲に覆いがかけられていた。
鳩除けだろうか。


鳥居

境内

神明社

本殿

子守勝手社か?

提灯の神門

扁額

本殿

 勧請年月不詳。延喜式に名草郡朝椋神社とあ り、紀伊国神名帳に従四位上朝椋神、(中略) 天正十三年(一五八九)国乱に罹り社領等掠取られ、当時の神官杉原景政、竊に神 櫃を負て山林に隠る。海部郡栄谷村渓聞有有国津神谷号神 櫃暫鎮座の地と云う。 其後、文禄五年(一五九六)桑山修理 大夫宗栄再建し、萬治二年(一六九五)十二月古殿回禄に罹 り徳川氏再営す。明治六年四月村社。昭和二十年七月、戦災の爲焼失。昭和三十五年再建。
 神階 『紀伊国名所図会』に「本国神名帳従四位上朝椋 神社」『紀伊続風土記』に「本国神名帳名草郡従四位上朝椋神」とある。

−『式内社調査報告』−



【 朝椋神社(印刷用ページ) 】

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