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坂本神社諏訪社
さかもとじんじゃすわしゃ
岐阜県中津川市茄子川字津戸井1792−1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 美濃國惠奈郡 坂本神社
旧村社

御祭神
建御名方神
配祀
誉田別尊 速玉男命

岐阜県中津川市にある。
美乃坂本駅の南、直線距離で2.5Kmほどの茄子川字津戸井に鎮座。
19号線から北へ入った場所、東へ行くと中津川公園がある。

参道の入口は北向き。
大きな鳥居が立っており、鳥居の奥は木立の参道。
参道を抜けると小さな橋。橋を渡った森が当社の境内。
境内入口に鳥居が立ち、鳥居の脇には
「式内坂本神社」「坂本天満宮」と記された社号標がある。
鳥居扁額にも「坂本神社」とあるが、
当社の正式名は諏訪神社。ただし、境内入口の由緒石碑などには
「坂本神社諏訪社」とあるので、当サイトでも坂本神社諏訪社としておく。

境内入口の鳥居をくぐり参道を進むと、もう一つの鳥居。
さらに進むと直会殿があり、直会殿の前から左手に参道階段を登って行く。
階段上には神楽殿があり、さらに階段を上った場所に当社の社殿が並んでいる。
つまり、社殿の向きは西向きなのだ。
拝殿は壁の無い形式で、拝殿の奥に流造の本殿がある。

参拝は晩秋の朝。
枯葉の散った境内は茶色くて美しい。
境内には何本もの立派な御神木があり、根元の苔も美しい。

社伝によると、文武二年(698)の創祀。
当時は豊城入彦命を祭神とする坂本神社として、
現在地の北1Kmほどの深沢に鎮座していたという。

延喜式にも記載される大社であったが、
延文二年(1357)三月野火のために焼失し、現在地に遷座。
建御名方神外二柱を奉斎し、江戸時代の延宝・慶長以降修復を加へて
諏訪神社と称するようになったという。

古社地である深沢には、坂本神社の社名を刻んだ石標が立っているらしいが、
残念ながら参拝しわすれてしまった。

式内社・坂本神社であると主張する神社は、当社の他に千旦林の八幡神社があり、
江戸時代末期に両社の間で論争があった。
その後、両社とも「坂本神社」の社号を用いないこととなり、
当社の正式名も「諏訪神社」のままらしい。

ところで『岐阜県神社庁』にある当社の由緒(下記参照)には、
「天暦年間の美濃國神名帳に従五位上」とありますが、
「美濃国神名記」に記されている恵奈郡座七社の中のどの社のことだろうか。
坂の字から「従五位上 清坂明神」のことだろうか。残念ながら未確認なのだ。

当社の神紋に関して。
拝殿の屋根に梶紋のような雰囲気の金の装飾があったが、
写真を見ても、はっきりと確認出来ない。
参拝後に望遠レンズに切り替えて撮影すれば良かったと、後悔している。

本殿の右手に坂本天満宮という大きな境内社があり、社殿前に牛像がある。
本殿の左手には境内社の小社が並んでいる。
右手から、天神社(菅原道真公)、金刀比羅社(金刀比羅大神)、
秋葉社(火産霊神)、御鍬社(天御中主神)、州原社(伊邪那岐命伊邪那美命)、
神明社(天照皇大神)、山神社(大山祇神)。
また、境内の西側に駐車場があり、その傍らに御社宮神と刻まれた石碑が立っていた。


社頭

鳥居

参道

境内入口

鳥居

境内参道

境内鳥居

右が直会殿

左に参道階段

境内

神楽殿

境内

境内

本殿左手に境内社

本殿

拝殿・本殿・坂本天満宮

本殿右手に坂本天満宮

駐車場脇に御社宮神

境内の御神木

文武二年創建。和名抄所載。延喜式神名帳恵那郡三座の一。豊城入彦命を祭神とする坂本神社にして、常に国司より幣物を供され、又、天暦年間の美濃國神名帳に従五位上。帳内社として坂本郷字坂本に古くより鎮座せる大社なるも、延文二年三月野火の為焼失し、字津戸井に遷座建御名方神外二柱を奉斎し、爾後延宝慶長以降修復を加へ現在諏訪神社と称へ、旧境内内五万六千余坪に及ぶと謂ふ。現今境内一町四反二十七歩を有し、本殿幣殿神饌殿等整ひ神明神社御鍬神社秋葉神社金刀比羅社天神社州原社山神社等の境内七社あり。

岐阜県神社庁webサイトより引用



【 坂本神社諏訪社 (中津川市)(印刷用ページ) 】

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