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五十鈴神社
いすずじんじゃ
宮城県気仙沼市魚町2−6−7  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊に花菱

式内社 陸奥國牡鹿郡 計仙麻神社
旧村社

御祭神
天照皇大神
配祀 大海津見神 素盞嗚神

宮城県気仙沼市にある。
気仙沼港に突き出した神明崎に鎮座。

港から眺めると、神明崎下にある赤い浮見堂が目につく。
面白そうな場所だと思いながら神明崎まで歩いてきて
浮見堂を撮影するのを忘れてしまった。残念。

浮見堂の近く、神明崎の下に「管絃窟」と呼ばれる穴があり
鳥居が建っていて祀られているようだが、詳細は知らない。

その「管絃窟」側に参道の階段があり、
階段を上ると、当社鳥居が建っている。
さらに階段を上ると、立派な境内社・猪狩神社が建っている。
境内案内によると、
「気仙沼湾に海苔養殖と製塩を伝えた猪狩新兵衛」を祀っているらしい。
その猪狩神社の左に、龍神の石祠がある。
境内の由緒略記によると、龍神社は当社本殿に合祀されているようだが、
気仙沼港を見下ろす景勝の地に建つ祠は、
当地祭祀の本来の姿なのでは、などと想像させる。

猪狩神社から参道を進むと、正面に当社社殿。
コンクリート造のようだが美しい社殿だ。
社殿内部には赤い絨毯(毛氈?)が敷かれ白い壁も美しい。
社号の五十鈴神社に相応しい社殿。

創祀年代は不詳。
社伝によると、応永年中(1394〜1427)
一村に一社の皇大神宮を祀ることとなり、
丸森(気仙沼駅近くらしい)に創祀されたという。

一説には、康平年中(1058〜1064)、
八幡太郎義家が反乱を鎮めるため当地に滞在、
軍を出発させようとしたところ、黒雲が立ちこめて進むことができず、
遥か伊勢神宮に祈願したところ、暗雲が消え快晴となったという。
その霊験に感謝し、丸森に伊勢神宮の宮(皇大神宮)を建立し
気仙沼の鎮守としたとも。

後、延宝年中(1673〜1681)
神明崎の現社地に遷座されたという。

当社境内(あるいは本殿に合祀)の龍神社は
式内社・計仙麻神社の論社となっている古社。
そうであれば、五十鈴神社は丸森から
龍神の地に遷されたということになる。

つまり、古社である計仙麻(気仙沼)神社の地に
新しい気仙沼の鎮守(五十鈴神社)を遷したことになるのだろう。
ある種の「祀り直し」と言えるのだろうか。

由緒略記によると、境内社・産霊神社があるらしいのだが覚えていない。
龍神祠を探すことに気を取られ、
気仙沼港の眺めに心奪われながらの参拝だった。
あるいは、ひょっとすると龍神祠が産霊神社なのかもしれない。


管絃窟

鳥居

猪狩神社

龍神祠

猪狩神社

境内

社殿

本殿

拝殿内部

五十鈴神社略記
御祭神
 天照皇大神(五十鈴神社)
 素盞嗚大神(八雲神社)
 大海津見大神(竜神社)
御由緒
応永年中(約六百年前)に当地の丸森に祀ら れた。その後、延宝年中(約三百年前)この 神明崎に遷座された。
御祭日
 五十鈴神社旧九月十一日
      (お神明さんの秋祭)
 八雲神社旧六月十五日
      (お天王さんの夏祭)
 大海津見神社四月
      (春の浦まつり)
境内社
 猪狩神社 気仙沼湾に海苔養殖と製塩を伝え た猪狩新兵衛を祀っている。
 産霊神社 妙見神社とも言い、造化三神(天御中主高皇産霊神皇産霊)を祀る。

−境内案内板−



当社がこの地に祀られた年月は祥かではありませんが、伝えられるところによりますと、応永年中、今から約五五〇年前に村毎に一社の皇大神宮を祀ることになったとき、当村の丸森に建立されたと言われます。その後、現在の神明崎に移したのですが、今でもその丸森(気仙沼駅の近く)を「御伊勢」と呼んでいることからもうなづけるところです。又古老の言い伝えによりますと、康平年間(約九〇〇年前)八幡太郎義家が反乱を鎮める為この地方に来たとき、丸森付近に一泊し、翌朝軍勢を整えて出発しようとしたところ、急に黒雲が立ちこめて一歩も動くことができなくなりました。それで義家は遥かに伊勢神宮に祈願したところ、不思議にも暗雲一時に消えて快晴となり、勇躍軍を進めて勝利を収めることができました。そこで義家は御礼にこの丸森に伊勢神宮の御宮を建立し、気仙沼地方の鎮守の神社にしたのだとも言われています。

−『平成祭データ』−



【 五十鈴神社 (気仙沼市)(印刷用ページ) 】

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