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大穴持像石神社
おおなもちかたいしじんじゃ
石川県羽咋市寺家町ケ1  Zenrin Data Com Maps display !!


山桜

式内社 能登國羽咋郡 大穴持像石神社
旧県社

御祭神
大穴持神 相殿 少彦名神

羽咋市寺家、気多大社の東300mの所にある。
249号線一ノ宮バス停からまっすぐ北へ続く道の突き当たりにある
こんもりと繁った森の中に鎮座。

中世以降の記録には、「大穴持宮」「大穴持社」と略され、
俗に、オナッサマと呼ばれる。
明治六年、県から「頂(うなじ)神社」と改称させられたが、
明治十年、大穴持像石神社へ復した。

鳥居をくぐると右手に「地震石」があるが、これが「像石」。
地震おさえの石、とも呼ばれる霊石なのだが、見た目は普通。
地上に出ている部分は小さい。
この石があるおかげで、このあたりに地震がないと云われている。

明治時代、気多神社宮司が、これこそ御神体なので、殿内に安置すべしとしたが、
村民の反対により、往古の場所にそのままある。

『能登志徴』に、文久三年、海岸防備の為、
このあたりに配備された藩士の一人が、この石の霊験を聞き、
試しに、小便をしかけて汚したところ、顔色が土色になり、その夜に無くなった。
その家を継いだ息子は、祟りを恐れ、人をやって参拝したが、
なぜか、家禄は減少し、禍が続いたという。

雪の社叢は、神秘的な雰囲気だった。
足跡の無い境内の雪を踏んで、参拝。
振り返ると、白い参道に、僕の足跡が残り、
境外は白い世界だった。
雪は、参拝には不向きなのだが、すべてを美しく見せる力がある。


社域

鳥居

地震石

境内

拝殿額

本殿

地震石

雪の境内

 創立の年代は明らかでないが、社名より考ふるに、 往古、神験霊異があって大穴持神の神像石を奉祀したのに 創まるのであろう。古代の石神信仰に発するものであるこ とはいうまでもない。前記のごとく貞観二年六月九日には 宿那彦神像石神社とともに官社に列し、延喜の制では小社 となったのである。
 明治に入ってから村社に列し、同 十年三月には内務省より改めて気多神社の摂社に指定さ れ、同十六年五月には県社に昇格、同四十一年四月には神 饌幣帛料供進神社に指定された。かやうに気多神社の摂社 となっているが、他面においては鎮座地の寺家町の産土神 として篤く信奉されてきたのである。

−『式内社調査報告』−



【 大穴持像石神社(印刷用ページ) 】

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