[HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


丹生神社
にゅうじんじゃ
滋賀県長浜市余呉町上丹生378  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 近江國伊香郡 丹生神社二座
旧村社

御祭神
彌都波能賣命 丹生都比賣命

滋賀県長浜市(旧余呉町)にある。
余呉湖の北東4Kmの上丹生に鎮座。
高時川を東へ越えた場所に、南向きに境内入口が見える。

鬱蒼と茂った木々の神域へ足を踏み入れ、
鳥居をくぐり、階段を上ると、
予想外に広い境内。
境内右手に、テント地で保護された、堂々として造りの拝殿があり、
拝殿の後方、階段上に、垣に囲まれた本殿がある。

参拝は5月の連休。
蒼々として活力に満ちた木々に
ちょっと癒される空間。そんな感じ。

創祀年代は、不詳。
式内社・丹生神社の論社の一つ。

社伝によると、天武天皇の御宇、
丹生真人がこの地を拓き、丹保野山に神籬を設け、
山土と丹生川の水を供え、天津神を祀ったという。
後、天平年間に現在の地に社殿を創建した。

よって、当社は土と水の神。

丹生真人は、誉田天皇の御子稚渟毛二俣王の後裔で、
息長氏の一族。息長丹生真人とも呼ばれていたらしい。

社殿には、巴紋が付けられていた。
『滋賀県神社誌』には「円山水」と記されていたが図案は未確認。
当初は、丸に三つ巴紋の別称だろうと軽く考えていたが、
違うような気がしてきた。よって、追記しておく。

本殿のある垣の中に、少し大きな境内社があるが
詳細は不明。
『平成祭データ』には、末社として、
伊波佐伎神社、平地岩宮、稲荷神社が記されている。
『滋賀県神社誌』では、平地岩ではなく「乎地岩」。


神域

鳥居

参道階段

境内

拝殿

中門

社殿

境内社

本殿

本殿

丹生神社由緒
一、祭神丹生都比賣命
彌津波能賣命
一、延喜式神名帳近江國伊香郡 四十六座ノ内 丹生神社二座ト アルハ当社ナリ 創祀年代ハ事 遠クシテ 詳知難ク 社伝ニ依レバ 人皇四十代天武天皇ノ御宇 丹生真人 此ノ地ヲ拓キシ時 丹保山ニ神籬ヲ 設ケ山土ト 丹生川ノ清水トヲ供シ 天津神ヲ 祭リ 天平寶宇年間ニ至リ社殿ヲ 今ノ所ニ創建シ 以来丹生郷ノ 総社トシテ郷民ノ崇敬スル所 古文書ニ 丹生大明神天神白山 両宮又上丹生天神白山ト記シアル 天神白山両宮ハ 即チ 延喜式 神名帳ノ丹生神社二座ガ両宮ト ナリシモノニシテ大永五年夏雷火ノ為 社殿焼失シ 翌年六月再建立ス 現在ノ社殿寛文年間ニ社造ヲ 壹宇建造セラレタルモノナリ

−境内案内板−



【 丹生神社 (余呉町上丹生)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index