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伊勢社
いせしゃ
長野県長野市大字高田字村前2435  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧村社

御祭神
天照大神

長野県長野市にある。
長野駅の東3Kmほどの高田に鎮座。
58号線から少し南に入った場所。小学校の向い(西)に境内がある。

参道入口は道路に面して東向き。
50m以上ある狭い参道を進むと、木々に囲まれた境内。
境内入口には、金属製の鳥居が建っており、
扁額には「伊勢社」とある。

鳥居をくぐり境内に入ると、広くて明るい砂の境内。
鳥居正面、境内の西奥に当社の社殿。
拝殿は赤い屋根の大きな入母屋造。
背後の本殿は、同じく赤い屋根の神明造。
本殿の千木は、内宮と同じ内削ぎ。

境内右手には児童用の遊具があり、
木々の間に、神庫や石祠が二つある。
個々の石祠に関しては、詳細は未確認。
『平成祭データ』には、境内社に
天神社、金刀比羅社、秋葉社、諏訪社、助弥さんの名前が乗っている。

この「助弥さん」が当社参拝の目的。
江戸時代、高い年貢にあえぐ農民の為に直訴のおよび処刑された
助弥青年を祀る小社だ。
境内にあった案内では、二斗八升神社と呼ぶらしい。
天神社と偽って祀られたらしいので、
境内社の天神社も兼ねているのかもしれない。

二斗八升神社の横に、金毘羅大権現と刻まれた石碑と三つの石祠もある。

伊勢社の由緒に関しては未確認。
当地方には、伊勢社と称する神社が多く分布するので
昔、伊勢講が流行していたのかもしれない。

また、伊勢津彦命を祀る風間神社が近くにあり、
その影響なのかもしれない。

二斗八升神社の創祀は延宝年間。
当時、海津城主の政治は非常に過酷で、
民百姓は籾俵に付き三斗という重い年貢に苦しんでいた。
農民たちは何度も減免を願い出たが聞き入れられず、
各地の名主は善光寺境内に集まって協議。
助弥は一身を投じて善光寺平の百姓を救うことを決意し、
中心となって幕府へ直訴した。

直訴の首謀者として捕えられた助弥は、
最後に「二斗八のお許しあれば、至上の喜び也」と言い残して
鳥打峠の刑場にて首をはねられた。享年十八歳であったという。

その結果、幕府を事情を調査し藩主へ減免を命じ、二斗八制となったという。

善光寺平の人々は助弥に感謝し、「二斗八様」として密かに信仰し、
郷里の高田村の伊勢社に祀ったが、
公儀をはばかって天神社と称するようになった。

拝殿の屋根に三つ巴紋が付けられていた。
伊勢社なので、巴紋が当社の神紋ではないかもしれないが。


参道

鳥居

境内

拝殿

本殿

境内左奥の二斗八升神社

二斗八升神社

内部の小祠

二斗八升神社
江戸時代、重い年貢にあえぐ 農民を救うため。下高田村 (現南高田)に住む助弥とい う青年が直訴に立ち上がり ました。
その後、処刑された助弥の偉 業を忘れないようにするため、 村人は天神社(菅原道真を 祭る)と偽って小さな社を建 てました。

−境内案内−



【 伊勢社 (長野市高田)(印刷用ページ) 】

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