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伊伎佐神社
いきさじんじゃ
兵庫県美方郡香美町香住区余部字宮内2746−2  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 但馬國美含郡 伊伎佐神社三座
旧村社

御祭神
伊弉諾尊
配祀 彦坐王命 天兒屋根命 出雲色男命 応神天皇

兵庫県香美町香住区にある。
山陰本線・餘部駅の北300mほどの余部に鎮座。
余部漁港の近くにあり、
178号線から御崎方面へ分岐して
西川を越えてすぐ。

というより、有名な余部鉄橋の近くにあり、
境内からも鉄橋を見ることが出来る。

実は当社に参拝するまで、
ここに余部鉄橋があるとは知らなかった。
当社を目指して178号線を走っている時、
多くの車が路肩に停車し、
多くの観光客がカメラを構えていたので
何があるのだろうかと、見上げると赤い鉄橋があったのだ。

ちょっとした渋滞になっており
邪魔だなぁと思いながら、当社へ参拝。

道に面して、東向きに白い鳥居が建ち、
西川に沿って参道を歩くと、
階段の上に社殿がある、簡素な境内。

社殿は拝殿の後方に本殿の覆屋が連結された形で
屋根が二重になっているように見える。

創祀年代は不詳。
社伝によると、文武天皇の慶雲三年(706)七月、
諸国に疫病が流行したため、
諸国に令して神祇を祀らしめた際、
美含大領椋椅連小柄が、彦坐王命
伊伎佐の丘に勧請したのが当社のはじめ。

神亀五年(728)五月、
美含大領従八位上矢田部連守柄基族勇山連市牛麿を召して
部民を率いて田畑を開拓させた際、
勇山連市牛麿の祖神である出雲色男命を勧請。

天平七年(735)、伊伎佐神の託宣により
伊弉諾尊を勧請し、主祭神とした。

嘉祥四年(851)正月二十七日、
伊伎佐神に正六位上が授けられた。

文永七年(1270)五月、
元寇退治の祈祷を行うため、
神主中臣志斐連景信が
男山八幡宮の分霊(応神天皇)と、
中臣氏の祖神・天児屋根命を勧請した。

社殿の左右に境内社がある。
左手には、稲荷社とお産の神・三柱社。
右手には、恵比須社と、もう一つの小祠。

『兵庫県神社誌』には、
宮嶋神社と下照神社の名前が記され、
明治二十六年の洪水で流出したとあるが、
もう一つの小祠はこれか?

洪水の前は、境内は今の倍の広さだったらしい。

当社に参拝後、新温泉町方面をウロウロとし、
宿泊していた豊岡に戻る途中、
鉄橋にはあまり興味はなかったが、
せっかく来たので僕も車を停めて撮影。
結局、自分も邪魔な観光客の一人だった。


境内入口

鳥居

境内

境内

社殿

境内左の境内社

右の境内社

境内から余部鉄橋

余部鉄橋

一、社名式内 伊岐佐神社
一、御祭神伊弉諾尊彦座王命
天兒屋根命
出雲色男命
応神天皇
一、由緒
文武天皇ノ御代、慶雲四年七月、諸國ニ悪疫病ガ流行ス、時ノ
天皇ハ諸國ニ神祇ヲ祀ルコトヲ命ジラレシ時、美含大領椋椅連
小柄、彦座王命ヲ、ココ伊岐佐ノ丘ニ勧請シタコトニ創マル
今ヨリ約千二百八十年前ノコトデアル
更ニ天平七年ニハ 伊弉諾命ヲ勧請シ主祭神トスル
嘉祥四年正月二十七日時ノ神祇官領ヨリ「正六位ノ上」ガ授ケラレ
数少ナイ延喜式ノ小社ニ列シ、延喜二十二年春三月ニハ、奉幣ノ
儀アリ官社トナル
又文永七年夏、異國(蒙古)来襲ト聞き、武神男山八幡宮ノ御分霊
中臣氏ノ祖、天兒屋根命ヲ勧請シ、異賊退治ノ祈祷式ヲ行フナド
由緒アル神社デアル
一、例大祭日七月十五日デ神幸式渡御アリ

−境内案内板−



【 伊伎佐神社 (余部)(印刷用ページ) 】

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