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島萬神社
しままのじんじゃ
京都府綾部市中筋町岩ケ下13  Zenrin Data Com Maps display !!


花菱

式内社 丹波國何鹿郡 嶋萬神社
旧郷社

御祭神
須佐之男命

京都府綾部市にある。
綾部駅の北東7Kmほどの中筋町に鎮座。
高城山(298m)の南西麓、
京都縦貫自動車道・舞鶴若狭自動車道のジャンクションの南1Kmほどの場所。

綾部駅から北上し、由良川にかかる白瀬橋を渡り、さらに北上。
八田川を越えて、77号線から74号線へ東へ進み、
74号線を4Kmほど進んで484号線を1Kmほど北上すると
参道入口に白い大鳥居が建っている。

鳥居の脇には「式内 島萬神社」と刻まれた社号標が建っているが
鳥居の扁額には「嶋萬神社」と書かれている。
また、境内の案内板には「島万神社」と記されている。

正式な社号は「島萬神社」だが、漢字の変化はあるようだ。
また、読みは『平成祭データ』には「しままん」となっているが
『明治神社誌料』には「しままの」と記され、
『神社覈録』に「志麻々と訓むべし」とあるらしい。

鳥居をくぐり、車道の参道を500mほど進むと境内入口。
数段の階段をのぼり、参道を進むと古い鳥居が建っており、
鳥居の奥が社殿のある垣に囲まれた境内。

境内中央には拝殿があり、拝殿の後方に板垣に囲まれた本殿。
垣の前面には中門がある。本殿は流造。

参拝は炎天下の八月夏休み。
濃い蒼天の下、日射しが強く非常に暑い日だった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、天平八年(732)諸国に疱瘡が流行したため、
翌天平九年(737)疫病平癒祈願のため各地に勧請されたという古社の一。

式内社・嶋萬神社に比定されている神社。

祭神は須佐之男命一柱だが『明治神社誌料』には大那牟遅命少名彦名命
『綾部市史』などには、さらに足名推神手名推神櫛名田比賣神も配祀とある。

また『式内社調査報告』では、もとは秦氏系の古代氏族の祖神であったものを
律令制の神祇政策により出雲系神話の神に改神したとある。

江戸時代まで当社に接して別当寺薬王山海蔵寺があり、
当社は本地仏薬王を祀り、五社大明神とも薬王大菩薩社とも称されたらしい。

祭礼は十月十日で、中世末期に流行した風流踊を伝える
太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される。
この祭は京都府無形民俗文化財に指定されている。

神紋に関して、
社殿などに花菱紋が付けられていたので、当社の神紋だと思う。

境内には幾つかの境内社がある。
境内右手には招魂社と八幡社。
境内奥の池の中にも境内社の祠(市杵嶋姫社?)。
その他に朱の社殿の境内社(稲荷社?)もあった。

『明治神社誌料』には、
斎神社、八坂神社、猿田彦神社、安井神社の名もあるが未確認。


社頭

境内入口

参道

鳥居

境内

境内

境内社殿

中門

本殿

八幡社

招魂社

赤い境内社

池の中の境内社

天平九年(737年)諸国に痘瘡が大流行し万民が苦しんだので、八田郷、吉美郷の人々が相はかり、社殿を造営して平癒を祈ったという。
江戸時代まで当社に接して別当寺薬王山海蔵寺があって、本地仏薬王をまつり薬王大菩薩と称したという。
秋の大祭には、テンテコテンで有名な「太刀振り」と「太鼓おどり」が奉納される。室町末期に源流をもつ神事がよく伝えられているもので、綾部市の無形文化財に指定されている。

−『平成祭データ』−



【 島萬神社 島万神社 嶋萬神社 (綾部市)(印刷用ページ) 】

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