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福長神社
ふくながじんじゃ
[京都旅行] 京都府京都市上京区福長町  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 宮中神 座摩巫祭神五座の一 福井神 大 月次新嘗
式内社 宮中神 座摩巫祭神五座の一 綱長井神 大 月次新嘗

御祭神
稲荷神 福井神 綱長井神

京都府の上京区にある。
御所の西、室町通に鎮座。
民家に挟まれた、狭い敷地で、小さな神社。

社前に、路上駐車があり、正面から撮影できず、
ちょっとむかついた。

もとは、一条猪熊にあった神祇官西院に祀られていた座摩巫祭神五座
(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神阿須波神)の中 の二座。
天正十五年、秀吉の聚楽邸建設に際し、福井神・綱長井神の二座を合祀し、
その二字を取って、福長大明神として現在地に遷されたという。

案内(説明書き)があったが、風化しており読めなかった。


社頭

拝殿

本殿

縁起(水神)謹んで按ずるに当社はもと一条猪熊に鎮座ましませる座摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神阿須波神)の中 豊太閣 聚楽邸を起さるる際し(天正十五年)福井綱長井の二坐を合祀し、其の二字を取り福長大明神として当町に遷されたるものなり。 (神社記録)往古 諾冊 二神 多くの神を生み、萬物を掌るべき を分かち授け給ふ、其の中 生井、福井、綱長井、三社の神、御井の神として吾人の飲料を守護し給ふ。我国唯一無二の水神なり。 (大日本神祇史 人皇六十代醍醐天皇 御宇 今を去る千百余年前)延喜式修せらるるに及んで大いに神祇祀典の制度を明らかにせられし時、朝廷の記録に載せらるる神社三千百三十二座、其祭神に依て大、中、小の別を立て奉幣の数を定めらるや当社は実に中祀に属し奉幣の儀式最も厳かなりき。然るに時世の変遷に伴ひ、報本反始の観念衰ふると共に廃頽を来たし今や僅かに告朔のki羊も営なまざる微小の祀社の存するに至るなり矣

−『平成祭データ』−


 座摩(ゐかすり)は、居所知(ゐかしり)の意で、この五座の神は宮所(いはゆる大宮地)守護の神である。五座みな官幣の大社で、祈 年祭のほか月次・新嘗両祭の班幣に預る。貞観元年生井神・福井神・綱長井神・波比岐神阿須波神に従四位上 を授け奉つた。延喜四時祭式(下)には、座摩巫奉斎神祭の幣帛の目が見える。初めの井神三神は、人の生活 に一日もなくてはかなはぬ井水を守ります神である。すなはち生井は、生々活発の井水とたたへたもの、福井は、 幸井・栄井で、繁栄の井水とたたへたもの、綱長井は釣瓶を吊す綱の長くして、深く清い井とたたへたものである。
 因にいふ、今、上京区室町通今出川下福長町に、福長神社とい ふ社がある。稲荷の神と福井神・綱長井神と祀るところから福長 大明神といふが、後の二神は、神祇官の西院に祀られた座摩巫の 祭る神五座のうちの二座で、豊臣秀吉が聚楽第を築いたとき、そ の第内にあつたが、廃第後、現在の地に移したと伝へ、水神とし て崇敬されてゐる。境内地三十一坪余あり。
 町家の間にはさまれた狭い土地で、社殿も二尺×三尺の小さな ほこら程度に過ぎないが、町内住民が当番を定め毎月朔日、十五 日に献灯を欠かさず、毎年二月、十一月に初午祭並びにお火焚祭 を執行つてゐる。

−『式内社調査報告』−



最終更新日:2013/10/09
【 福長神社(印刷用ページ) 】

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