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櫛梨神社
くしなしじんじゃ
香川県仲多度郡琴平町下櫛梨280
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式内社 讃岐國那珂郡 櫛梨神社 |
香川県琴平町にある。
金毘羅宮で有名な琴平駅の北3Kmの下櫛梨に鎮座。
標高158mの如意山の西南麓にあり、
境内から如意山まで遊歩道になっている。
往古は、山上に鎮座していたようだが、
火災により現在地に遷座したという。
鳥居をくぐり、参道を歩くと、随身門。
さらに参道の階段を歩くと正面に社殿がある。
社伝によれば、
景行天皇の命を受けた神櫛皇子が、
大魚を討つために土佐から、舟に乗って当地へ来た時、
雲が厚く、雨が降り、何も見えない状態になった。
そこで、皇子は小山に登り、天に乞うたところ、
天から火が降りて来たという。
皇子はそこに舟をとどめ、祓戸神(磐船大明神)を祀った。
また、当地の神を祀るため、翁に、この地の神についてたずね、
大麻神・大歳神、更に、山下明神・諏訪明神を祀った。
さらに、船装束する時に、経津主神・武甕槌神(赤坂大明神)を祀った。
その後無事に、大魚を討ち取って当地に城山を築き、国造となった。
仲哀天皇8年(199)9月15日。120歳で亡くなった皇子を
櫛梨山に葬り廟を建てて祀ったのが当社の起源。
よって、皇宮大明神とも、大宮とも称された神社。
拝殿の瓦や本殿の屋根には卍の紋章。
本殿屋根には、さらに三つ巴も付いていた。
鳥居 | 神門 | 参道 |
社殿 |
本殿 | 扁額 | 本殿 |
由緒(碑文)
当社は延喜神名式讃岐國那珂郡小櫛梨神社とありて延喜式内当国二十四社の一なり。景行天皇の二十三年、神櫛皇子、勅を受けて大魚を討たむとして讃岐国に来り、御船ほを櫛梨山に泊し給い、祓戸神を祀り、船磐大明神という、船磐の地名は今も尚残り、舟形の大岩あり、付近の稍西、此ノ山麓に船の苫を干したる苫干場、櫂屋敷、船頭屋敷の地名も今に残れり、悪魚征討後、城山に城を築きて留り給い、当国の国造に任ぜられる。仲哀天皇の八年九月十五日、御年百二十歳にて薨じ給う。国人、その遺命を奉じ、櫛梨山に葬り、廟を建てて奉斎し、皇宮大明神という。社殿は壮麗、境内は三十六町の社領、御旅所は仲南町塩入八町谷七曲に在り、その間、鳥居百七基ありきと。天正七年、長曽我部元親の兵火に罹り、一切焼失する。元和元年、生駒氏社殿造営、寛文五年、氏子等により再建せらる。明治三年、随神門、同四十三年、本殿、翌四十四年幣殿を各改築、大正六年、社務所を新築す。−『平成祭データ』− |
【 櫛梨神社 (琴平町)(印刷用ページ) 】