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神明宮
しんめいぐう
静岡県浜松市北区三ケ日町只木355  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 遠江國濱名郡 弥和山神社
旧村社

御祭神
天照皇大御神 豊受大神

静岡県浜松市三ケ日町にある。
浜名湖から301号線を北上し、68号線に入って東へ3Km。
三ケ日原人只木遺跡のそば、こんもりと木々の茂った丘の上に鎮座。

階段を登って、鳥居をくぐり、更に階段を登る。
木陰の参道の奥に、綺麗な境内がある。

参道正面に拝殿があり、左手に境内社が一つ。
拝殿後方の本殿は、神明造。

清浄な雰囲気を湛えており、大事に祀られていることがわかる境内だった。

創始年代は不詳。

元は当地方・浜名湖周辺に居住していた三輪氏族の
奉斎する大物主命を祀った社で、
弥和山神社と称しており、式内・弥和山神社である。

平安時代・朱雀天皇天慶三年、
浜名湖地区が伊勢神宮領浜名神戸となり
当地に但木御薗が成立。
当社も天照皇大神を祀る神明宮と変化していった。

当社周辺は、古来、宮山・宮平と呼ばれていたが、
これは、「弥和山」から転訛したものと考えられている。

境内社には、幾つかの社が合祀されている。
愛宕神社(火産靈命)、金刀比羅神社(大物主命)、八幡宮(誉田別命)、
諏訪二柱神社(建御名方之命)、下諏訪神社(高媛命 配祀 八坂登賣之命)、
八柱神社(五男三女命)、西之宮(蛭子命)、御鍬大神(天照皇大御神)、
浅間神社(木花咲耶姫命)、天満宮(菅原道眞)、津島神社(須佐之男命)、
二之宮(金山彦命 配祀 金山姫命)。

『平成祭データ』には、次の二社も記載されていた。
稲荷神社(宇迦靈神)、山神社(大山祇命)。
ただし、実際の社殿の額には、上記の二社はなくて、
白山社、金山大神が書かれていた。


社域

社号標

参道

参道

境内、境内社と拝殿

拝殿扁額

本殿

社殿から参道

神明宮経歴
 抑々当神明宮の濫觴は、上古期浜名湖周辺に定着繁栄した三輪 (神・美和)氏族の奉斎にかかる式内弥和山神社に当るものにて、平安中期の 天慶三年(九四〇)伊勢神宮神領浜名神戸が立券寄進され、その 内外に御薗御厨が成立するにおよび、当神社の所在地にも但木 御薗の成立を見たのであり、茲に及んで旧来の祭神大物主命の 霊に代るに天照皇大神を奉斎したと考えられます。その時期は 鎌倉時代初期元福元年(一二三三)かと推察されます。
 明治維新まで摂社として西ノ宮・二ノ宮の二社のみが存したこ とは、式内社時代の旧態を克く物語っており、天福元年但木 御薗記銘の懸仏の残されていることは神明宮奉斎の時期を 明示しています。
 次いで室町時代の当社は姿は貞治四年(一三六五)大江末光 奉納にかかる掛仏二体によって覗くべく、近世江戸時代初期 以来明治まで拾数度の神殿修造葺上あり、現存棟札の最古の ものとしては、元和六年(一六二〇)三月五日当時住民の代表左近 右衛門真次・源右衛門秀止・源兵衛秀勝以下惣村人等により上 葺が行われたときのものであります。そして明治維新におよび、 明治十二年九月十日村社に列格奉斎されてきましたが、今次大戦 の結果昭和二十年村社の格を廃されました。
 現在の本殿は、昭和三十四年九月伊勢湾台風の災禍により倒壊 したものを、氏子総代区長以下氏子一同鋭意再興に当り成立 させたものであります。
 昭和五十年十月竣工の拝殿および附属する祝詞殿・渡殿は、 伊勢神宮の式年遷宮による古材御下渡しの恩典に浴し、これが 受領交渉の往来など建設委員長以下氏子一同の血の滲む ような努力の結晶と、更には当区を郷とする参百余名にの ぼる元氏子の寄進に与かる力大である故を後世に永く識 すものであります。かくして茲に、当区にとって千載一遇 の盛事を醸成したと言えるでしょう。
   昭和五十年十月 吉日 識

−拝殿掲示−



【 神明宮 (三ケ日町)(印刷用ページ) 】

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