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善知鳥神社
うとうじんじゃ
青森県青森市安方2−7−18
陸奥の外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた
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旧県社 |
青森県青森市にある。
青森駅から東へ500mほどの安方に鎮座。
安方は、もと安潟であったという。
境内入口は東側、鳥居をくぐると参道が西へ延びる。
参道途中に赤い鳥居。正面に拝殿がある。
拝殿後方に神明造の本殿。
創祀年代は不詳。
社伝によると、第十九代允恭天皇の御代、
善知鳥中納言安方(うとうちゅうなごんやすかた)が
当国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定し、この地を治めた時に、
霊験あらたかな神々を祭ったのが初め。
善知鳥は、烏頭とも書かれる場合がある。
善知鳥中納言安方は、当地の人々に漁猟・耕作を教え、
青森市の前身である、善知鳥村を拓いた人物と考えられており
当社が、青森市発祥の地と云われている。
一説には、安方は、安方悪智という名を蒙り、
親子ともども流罪によって、当地に流され、
深く悔いて、善智となり、この外が浜の神となったという。
彷徨える魂が鳥となる説話の類型だと思われる。
善知鳥とは、チドリ目ウミスズメ科の海鳥。
体長30㎝ほどの大きさで背面は黒褐色、くちばしは橙色。
繁殖期には嘴の上部に角のような突起を生じる鳥。
親子の情愛が深い保護鳥だそうで、
親鳥が「うとう」と鳴くと、雛鳥が「やすかた」と応えるという。
その習性を利用して、善知鳥を捕っていた猟師が
死後、地獄で鳥に責められる話が、世阿弥作の謡曲『善知鳥』。
その伝承を詠った藤原定家の歌。
陸奥の外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた
浄瑠璃にも、善知鳥安方は登場し、
罪ある亡き主人の遺児を匿う役。
また、善知鳥は善知鳥の前という安方の後妻で、
生神となった女性という説もある。
神社を囲む池を善知鳥沼と呼び、そこに祭られた弁天社がこれで、
当社の霊験はしばしば女人の姿で現われるため、
安方宮とは呼ばず、後妻の善知鳥宮と呼ばれるのだという。
社殿の後方に池があり、中央の島に祠が祭られている。
これが上記の弁天社だろうか。
境内右手に境内社が3つ。
手前に稲荷神社、無記名の境内社、龍神宮。
無記名の境内社前には、猿田彦大神や月読神の石碑が立つ。
青森の社寺は、一般には津軽牡丹の紋を使用するが、
当社も津軽牡丹の紋。
他に、社名に因んだ善知鳥を文様にあいて社紋としている。
参道 | 鳥居 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
弁天社? | 龍神宮 | 稲荷神社 |
善知鳥神社由緒
善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村
と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神と
して 第十九代允恭天皇の御世に日本の國
の總主祭神である天照坐皇大御神の御子の
三女神を善知鳥中納言安方が此の北国の
夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、
その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由
来している。又、善知鳥中納言安方は此の地の
人々に初めて漁猟と耕作を教へ此の辺一帯が
今日のように発展したのは安方の聰明なる知恵
と才能と勇氣が、神々の御意に叶い人々に慕い
仰がれる所以となったと言われている。爾来此の
善知鳥神社は青森の発祥の地として長い間
連綿として敬神崇祖の信仰が受け継がれている。
−境内案内− 謡曲「善知鳥」とその「旧跡之地」
謡曲「善知鳥」は、殺生の罪を犯した猟師
が地獄で責めたてられる苦患の有様を見
せる執心の夢幻能である。その猟師は奥州外が浜の者で、立山の凄惨の 地獄に堕ちていたが、外が浜一見の旅僧に 回向を乞うて故里の妻子の前に現われ、我が 子を見て子鳥を殺した罪の恐ろしさを悔い、 化鳥にさいなまされる苦しみの仕型を見せて 更に回向を頼んで消えて行く。善知鳥と言う のは彼が常に捕っていた鳥の名なのである。 陸奥の外が浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた という主題歌は定家の歌と伝えられている。 善知鳥神社の社殿近くに「謡曲善知鳥旧跡 之地」という碑がある。安潟と呼ばれた大きな 湖沼のあとが現在の安方町であり、神社を囲む 池を善知鳥沼と呼ぶなど、昔、此の地を「善知鳥 の里」と言った名残を示す碑である。 −境内案内− |