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府中八幡宮
ふちゅうはちまんぐう
新潟県上越市西本町3−5−15  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國頸城郡 阿比多神社

御祭神
應神天皇
配祀 沼河比賣 建御名方神

合祀 越後國総社

新潟県上越市にある。
直江津駅の北西500mの西本町に鎮座。
スーパーの北に、道路に面して南向きに境内入口がある。

雨の早朝に境内に到着。
境内の会館に、朝から大勢の人達が集まっており、
参道は駐車場と化していた。

その雨の参道を歩くと、正面に社殿。
境内右手に会館があり、左手に池。
雨のためか、境内の芝は青々として瑞々しい。

社殿は赤い屋根。
拝殿の後方に、幣殿・本殿と繋がった形式だ。

創祀年代は不詳。

八幡宮に越後総社と諏訪社の合体した神社。

三柱の神々を祀っており、
八幡宮祭神は応神天皇、諏訪社は建御名方神だから、
総社祭神は、沼河比賣となるのだろう。

合祀された時期は明確ではないが、
創立時点で、すでに相殿に祀られていた可能性もあるだろう。

中世には府中六所と呼ばれており、
社伝によると、往古は阿比多御館といい、
高志惣社であるという。
鎮座地の西には、国府という地名もあり、
越後一ノ宮とされる居多神社も鎮座している。

また『越後頚城郡誌稿』には、
当社が式内社・阿比多神社の古跡であると記されているらしい。

境内社に、神明宮と諏訪神社があるらしいが気づかなかった。
境内左手の池の周囲に、石祠があったがそれが境内社なのだろうか。

神紋は、八幡宮なので三つ巴だと思うが、
境内には、八咫鏡の中に三つ巴の紋があった。
ちょっと変わった文様なので、掲載してみた。


鳥居

境内

境内

本殿

社殿

府中八幡宮略記
祭神
誉多別尊(応神天皇) 相殿祭神 沼河姫命 建御名方命
昔は阿比多館といって高志総社で、今の位置は越後国府の正北の丘になるのであります。 鎌倉時代に鶴岡宇佐八幡神を移し迎え、沼河姫命と建御名方命の二神を合わせ祀って、 府中石清水八幡宮と称し、一国一社の八幡宮であります。上杉氏の敬仰が特に厚く、 謙信公は直筆の神額並びに下馬札制札などを奉納されました。江戸幕府になってからも 崇信の念がますます高く、慶長十六年九月に社領百石と定め、将軍墨附や閣老連名の添書を 交附して神馬一頭の寄進をされています。歴代の高田城主の帰依も一段と深く、社殿を造営 されたり土地を寄進されたりしております。明治戊辰の年に、北陸奥羽を鎮撫された際に 勅使を以て幤帛を供進されております。貞観十二年(七九三年)に石清水八幡宮分霊を お迎えして越後八幡と称してから、国分寺と共に由緒深い神社として広く世人に知られて きたのであります。
社殿
本殿 神明造萱葺十二坪    慶応二年改築
幣殿 平屋造萱葺十五坪    慶応二年改築
拝殿 破風造萱葺二十七坪五合 寛永九年改築 松平越後守光長寄進
境内神社
神明宮 石祠、祭神 天照皇大神豊受姫命
諏訪社 石祠、祭神 建御名方命
鳥居 石造三基 内一基 正保二年八月小栗茂吉寄進
灯篭 石造三対 天明七年・同八年・文政二年各建設
狛犬 石造二対 内一対(鎌倉から室町)頗有古色
石碑 一基 創設年月日不明 社伝を刻す 寛政九年再建
境内
官有地第一種六反十二歩古藤老松池水を繞りて幽邃閑雅春秋の眺め佳なり
宝物什器及び文書
掛額 八幡宮 有栖川宮熾仁親王御筆
掛額 八幡宮 弘法大師筆(木彫)総社
総社 掛額 八幡 上杉謙信公 諏訪 筆、
鰐口 直径一尺五寸 文安三年道円寄進
長太刀 助宗作 元和九年松平伊予守忠昌寄進
社領墨附 天文二十四年上杉景虎(謙信公)署名
社領墨附 天正八年上杉景勝署名
朱印状 徳川家綱将軍より家茂将軍に至る九代現存、
制札 上杉、諏訪、松平、戸田、榊原諸家五枚現存
上越市西本町三 府中八幡宮社務所

−『平成祭データ』−



【 府中八幡宮 (上越市)(印刷用ページ) 】

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