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額神社
のかじんじゃ
石川県かほく市高松コ6  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


三つ引

式内社 加賀國加賀郡 野蚊神社 (参考)
旧村社

御祭神
野蛟神
伊弉諾尊 事代主神 櫻井三郎左衞門

石川県かほく市にある。
七尾線高松駅の西1Kmほどの高松に鎮座。
境内の後方には、のと里山海道が走っており日本海のすぐ近く。
227号線に面して東向きに境内入口がある。

道から少し奥まった場所に鳥居が立ち、
鳥居の左脇に「額神社」と刻まれた社号標。
鳥居扁額にも「額神社」とある。

鳥居をくぐると広い境内。
参道脇に由緒石碑や鎮火祭の由来などが刻まれている。
当地は加賀と能登を結ぶ交通の要衝であり
宿場町であったため民家が多く火災も多かったようだ。
当時、赤飯を神前に供え、祭の後に家々に赤飯を配っていたが
民家が増えたため赤飯ではなく清酒を配ったところ
大火災が発生したため、神罰を畏れて赤飯に戻したという。

参道を進むと神馬像があり、巴紋と引き両の紋が付けられていた。
さらに進むと鳥居があり、扁額には「額明神」。
鳥居をくぐると社殿がある。拝殿は瓦葺入母屋造。
後方の本殿は一段高い場所にあり、銅板葺流造。

創祀年代は不詳。
当社は横山鎮座の賀茂神社の境外摂社で、
金津庄高松の鎮守として崇敬された神社。
かつては古宮と呼ばれる地に鎮座していたらしい。

当地は加賀国と能登国を結ぶ街道で、
河北潟より七窪を経て当社に至る道には
旅人を騙す「おまん狐」が出るため、
街道の南に天星神(七窪神社)を、中程には地蔵堂を、
北に野の神(当社)を祀って旅人の安全を祈願したという。

境内由緒書きでは、賀茂神社祭神・賀茂別雷神
祖母神である草野姫野蛟神)を祀るとある。
ただし、一般には賀茂別雷神の父母は鳴鏑神(大山咋神)と玉依比売命
玉依比売命は賀茂建角身命伊賀古夜比売命の御子。
鳴鏑神の父母はわからないが、
大山咋神は大年神天知迦流美豆比売神の御子。
野蛟神(野椎神)は大山津見神とともに土・霧・谷などの神々を生んだ。

当社は草野姫(野蛟神)を祀り、
「野蛟」の誤読から「ノカ明神」と称し、明治に「額之社」となり、
現在の社号「額神社」は「のかじんじゃ」と読む。
『式内社調査報告』では式内社・野蚊神社の項に
参考として当社が記載されているが、
特に式内社であることは主張していないようだ。

当社に合祀されている櫻井三郎左衞門は、
天保年間に創建され、嘉永二年(1849)境内に遷座された英之社の祭神。
社殿老朽化のため解体され本殿に合祀された。

櫻井三郎左衞門は天正十二年(1584)末森合戦にて
前田利家軍勢の道案内をつとめた功により、
高松の村民の宅地の税を免除される恩恵を得た人物。
また、羽咋郡太田から大海川へ水を引き、
加賀・能登の田地四百八十三町に灌漑の利を与えたとも伝えられている。

社殿の左手に英之社趾の石碑が立っており、
右手には御霊社が祀られている。


社頭

鳥居

神馬像

境内

境内鳥居

社殿

本殿

社殿

境内社殿

英之社趾

御霊社

額神社由来略記
祭神 野蛟神、伊装諾神、事代主神、英之神
鎮座地 石川県河北郡高松町高松コ六番地
由来 当額之社は、往古より横山鎮座 賀茂大宮の攝社にして、仝社祭神賀茂別 雷神の祖母神草野姫及び伊装諾神を奉 斉し金津庄高松の鎮守と尊崇来れり
当所は加賀国より能登国に通ずる街道にして街道の 南、河北泻より七窪を経て当社に至る街道 は、おまん狐の出でし所にして南入口に天星 神を奉斉し、街道の中程には地蔵堂を、北部 なる古宮の地に野の神なる草野姫を奉斉 し奉り旅人の安全を祈願す。草野姫又の 御名を以って野蛟明神と奉称す
 英之神は、桜井三郎左衛門命にして、天正十二年 末森合戦に藩公前田利家に協力せし功に より高松の宅地の税を免除さる依って 嘉永二年英之社を建立岸川様と尊崇奉 るなり嘉永三年拝殿を建立し古宮より現在地 に遷座 大正五年境内に在りし英之社 金刀羅社を社殿に合祀 昭和十八年村 社に列せられる

−境内由緒石碑−



【 額神社 (かほく市)(印刷用ページ) 】

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