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玉前神社
たまさきじんじゃ
千葉県長生郡一宮町一宮3048  Zenrin Data Com Maps display !!


鏡に御統


三つ巴

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式内社 上総國埴生郡 玉前神社 名神大
上総國一宮
旧國幣中社

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御祭神
玉依姫命

玉前命(高皇産霊の孫、あるいは甥) 『神名帳頭註』

千葉県一宮町にある。
上総一宮駅から西へ延びる道路から少し、南へ入ったところ。
駅からも近いので、すぐにわかる。

境内入口には、朱塗りの鳥居があり、境内にも、二基の鳥居。
参拝した日は、雨だったので、暗くて鳥居の撮影は失敗だった。

階段を上ると境内、正面に黒塗りの社殿が鎮座している。
派手さはなく、渋い。
境内右手には、鮮やかな朱の神楽殿。
朱と黒の対比が見事で、印象に残る神社社殿だ。

創祀年代は不詳。
一説には、景行天皇巡幸の際の創建という。

祭神は現在、玉依姫命だが、一説には玉前命とも。
また、十二社祭の際、当社から二基の神輿が神幸され、
一基は大宮様(玉依姫命)、もう一基は神武天皇とされるが、
昔の資料には、一基は玉前大神、もう一基が玉依姫命であったらしい。
とすると、当社の主祭神は、社名の通り玉前大神と考えるのが妥当か。


当社の御神体は、珠玉であると伝えられており、珠に関する説話が幾つかある。
『古今著聞集』に、当社祭神が、懐妊後三年。
今が国を治めるときに臨みて若宮を生むと託宣し、
海浜にあった明珠が、その若宮であると。

『房総志料』に、以下の説話があるらしい。
昔、このあたりに塩汲みの翁がおり、朝早く潮水を汲んでいると、
明珠が波間の現れ、光彩を放っていた。
これを持ち帰ったところ、夜光り輝くので、
翁は畏れて、玉前神社の神庫に納めたという。

神紋は、「鏡の中に御統(みすまる)」
御統とは、勾玉のネックレスのことで、八坂瓊曲玉のこと。
国の統治者の印。
鏡と御統だと、天照皇大神を連想するが、なぜ当社の神紋なのだろう。
『官國幣社 例祭之由来と神紋』によると、古来は三つ巴だったということ。
今でも神楽殿や社殿に、巴紋は見られる。
ただし、拝殿や賽銭箱には、菊紋が目立つ。

鳥居三基を経過して境内に入ると、正面に黒漆の社殿。
朱の鳥居と、緑の木々に映えて美しい景観。

境内右手には神楽殿や御神木、招魂社があり、
左手には、境内社・十二社。
当社周辺の十二の神社を集めて末社としたもので、
十二社は、以下の通り。
軻遇突智命(宮の後・愛宕神社)、誉田別命(陣屋内・八幡神社)、
事代主命(上宿・三島神社)、白山比売命(上宿・白山神社)、
大山咋命(下村・日枝神社)、大山祇命(柚の木・山神社)、
木花開耶姫命(細田・浅間神社)、賽神三柱(道祖神・塞神社)、
大物主命(内宿・蔵王神社)、少彦名命(関東台・粟島神社)、
櫛御毛野命(陣屋・熊野神社)、罔象女命(下の原・水神社)。

本殿の周囲、玉垣の周りには、「はだしの道」がある。
裸足になって玉砂利の上を歩くようだ。
気持ちよさそうだが、歩かなかった。後悔している。


境内入口の朱塗りの鳥居

参道の鳥居

社前の鳥居

拝殿

境内

本殿

本殿周囲に「はだしの道」

本殿


三峯神社

神木の「いす」
別名なんじゃもんじゃ


御神水

境内社、十二社

神楽殿

さざれ石

招魂社

ご祭神 玉依姫命
玉依姫命は海(龍宮)よりこの地におあがりになり、姉神 豊玉姫命より託された鵜茅葺不合命をご養育、後に命を結 婚されて初代天皇神武帝をお産みになられました
ご祭神が私達の生活全般をお守りくださるのは勿論ですが わけても安産・子育てのお働きに象徴される女性の守護神 として、また「龍宮」の意味する豊かさや喜びをもたらし 男女をはじめ人のご縁を結ぶ神として古くより信仰されて います。

ご由緒
創始は古く詳らかではありませんが、延喜式内名神大社、 また上総国一ノ宮として平安時代にはすでに日本の中でも 重きをおくべき神社とされていました 明治四年には国幣 中社に列しています
昭和二十三年に当時皇太子であられた今上陛下がご参拝、 同二十八年には昭和天皇、平成四年には今上陛下より幣饌 料を賜りました
また千葉平氏上総権介平朝臣広常をはじめ、源頼朝の妻の 北条政子懐妊に際して安産祈願の奉幣、徳川家康が神田十 五石を寄進するなど武門の崇敬も多く厚いものでした

ご例祭
九月十三日 ご例祭と神幸祭
大同二年(八〇七)に始まったと伝えられる当地方で最も 古い浜降神事です 「上総の裸祭」といわれ、ご祭神由縁 の釣が崎海岸に十二柱の神々が集われる壮大な祭儀です  裸の男達が神輿を奉じて九十九里浜を疾走します

文化財
国指定重要文化財「梅樹双雀鏡」県指定有形文化財「玉前 神社社殿」などがあり県指定無形民俗文化財「上総神楽」 は三百年の伝統をもち現在でも年七回奉納されています

−境内案内板−


千葉県指定文化財 玉前神社社殿
    附 棟札 (貞享四年三月・貞享四年八月在銘)
平成八年三月二十二日指定

 玉前神社は、玉依姫命を祭神とする「延喜式」神名帳 にも見える古社で、「三代実録」にも記録される由緒あ る神社である。鎌倉時代には上総一宮としての格式を保 っており、北条氏、里見氏の天生の変で罹災し、天生十 年(一五八二)里見義頼により再建されたと伝える。
 現在の建物は、江戸中期の貞享四年(一六八七)に、 本殿が大工棟梁大沼権兵衛、拝殿と幣殿は井上六兵衛に よって竣工された。
 本殿は、桁行三間、梁間二間、一間の庇を付ける入母 屋造りである。拝殿は、桁行五間、梁間二間の入母屋造 りで、正面に向唐破風を付ける。幣殿は、本殿と拝殿を つなぐ建物で、桁行四間、梁間一間の規模である。全体 が複合社殿(権現造)となっており、屋根は寛政十二年 (一八〇〇)に現在に見られるような銅版葺に改められ ている。
 県内でも余り例を見ない様式を残す社殿は、社格とそ の歴史を今に伝えている。

−境内案内板−



【 玉前神社(印刷用ページ) 】

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