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榛名神社
はるなじんじゃ
群馬県沼田市榛名町2851
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旧県社 |
沼田駅の北1Kmほどの榛名町に鎮座。
沼田駅から東へ150ほど進み左折して
300mほど北上すると当社の大鳥居が建っており、
鳥居をくぐってさらに北上すると境内がある。
参道を少し戻って撮影をしながら参道を北上。
大鳥居は参拝後、帰り道で撮影しようと思ったのに
参拝中にすっかり忘れて、車に乗って北上してしまい大鳥居を撮影していない。
境内入口の鳥居をくぐると、綺麗な砂利の境内。
正面に社殿があり、社殿の左には宴会場の受付のような建物。
当社境内には結婚式場・宴会場「榛名の森」が併設されているようで、
その入口にもなっているのかもしれない。
そのせいか、境内はどこか華やかな雰囲気だった。
拝殿は銅板葺入母屋造。背後の本殿は銅板葺流造。
享禄二年(1529)沼田万鬼顕泰が建立し
元和元年(1615)真田信之が再建したもので、
彫刻は左甚五郎の作らしい。
見えなかったが、本殿正面の内陣御扉上には真田氏の紋・六文銭があるらしく
当社を拝むと、同時に真田家も拝ませる意図があったという。
寶高大明神とされる倭建命は『上野国神名帳』に「従一位 保寶明神」とあり、
倉内(現在の沼田公園内)に祀られ、沼田郷一帯の総鎮守だった。
薄根大明神とされる菅原道眞命は『上野国神名帳』に「従二位 碓根明神」とあり、
現在地に鎮座した薄根町の産土神。
享禄二年、沼田万鬼顕泰が寶高大明神の社地に沼田城を築城する際、
倭建命と菅原道真命、さらに沼田城以前の居城・幕岩城内に祀られていた埴山姫命を合わせ、
現在地に社殿を建立し、沼田の総鎮守・榛名大権現として崇敬されてきた神社。
ただし、明治五年氏子分離の訴訟があり、六ケ町は須賀神社の氏子となっているらしい。
明治二年、榛名神社と改称。明治六年郷社に列し、昭和三年県社に昇格した。
合祀の建御名方命は、明治四十一年に合祀された瀧棚諏訪神社に祭神。
境内右奥に摂社大国社(大国主命、事代主命)が祀られ。
祠の中に恵比須像と大黒像がある。
大国社に左手に多くの石祠が並んでいるが詳細は未確認。
由緒書きには、以下の社名が記されている。
琴平宮(大物主神)、熊野社(櫛御氣野命)、稲荷社(宇迦之御魂神)、
産泰社(高皇産霊神)、五柱社(大日霎命・品陀和氣命・天児屋命・倭建命・住吉神)、
厳島社(市寸島比賣命)、加茂社(大雷命)。
石祠の端に、面美様(めめよしさま)と呼ばれる三角形の石があり女神が刻まれている。
この面美様の顔を撫で、その手で顔を撫でると美人になるという。
(せっかくなので、僕も撫でてみた。)
八〇〇年前の作で左右の眼の大きさが違う埴山姫命を彫ったという説があるが、
今はすり減って目の大きさがわからない。
神楽殿横の武尊雌石、社務所前の手水・心荒石がある。
参道の鳥居(二之鳥居?) | 参道の鳥居 |
社頭 |
鳥居 | 社殿 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
本殿 |
境内社の石祠 | 摂社大国社 |
面美様 |
武尊雌石 | 心荒石 |
榛名神社 由緒
−社頭由緒書−
【 榛名神社 (沼田市)(印刷用ページ) 】
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