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八溝嶺神社
やみぞみねじんじゃ
茨城県久慈郡大子町上野宮2129  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 陸奥國白河郡 八溝嶺神社
旧郷社

御祭神
大己貴命 事代主命

茨城県と栃木県、そして福島県に跨って聳える八溝山(1022m)山頂にある。
山頂は、茨城県と福島県の境界だが、
当社境内は茨城県側にあり、住所も茨城県。

山頂までは舗装された道が延びており、車で行くことができる。
登り口は福島県側と茨城県側にあるが、
参拝した2008年10月には、
福島県側の道は通行止めとなっていた。

茨城県側の登り口は2か所あるようだが、
今回利用したのは、蛇穴にある林道。
こちらが表参道のようで、林道入口には大きな鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、6.5Kmほどの林道をウネウネと上ると山頂。
山頂には10台前後駐車可能なスペースがあり、その横に、当社境内。
境内入口の鳥居脇には、白馬の像が置かれている。

階段を登ると正面に社殿。
左奥に天守閣のような形をした展望台がある。

一説には、第四十五代聖武天皇の頃、
伝教大師が湯殿山修行の時、
南方の八溝山を見渡せば、奇瑞雲が現れれたので
山頂に登り、山王二荒両社を建立したのが始め。

社伝によると、景行天皇四十年、日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち
大己貴命事代主命を祀ったのが当社の起源。

後、延暦十六年(797)、坂上田村麻呂が八溝山に陣を置き、
神の御加護により大勝したので宝剣を納めた。

さらに、大同二年(807)、弘法大師がこの地を訪れ
神殿を修復して霊地と定め、
仁寿二年(853)、慈覚大師が山に登って修復事業を行った。

かっては八溝山から金が産出していたらしく
承和三年(836)、山中より採取された砂金が献上され
遣唐使派遣の資金となったという。

室町以降は茨城県は常陸国だが、
古代においては陸奥国に属しており、
当社は、陸奥国式内社・八溝嶺神社に比定されている神社。
以前は広い信仰圏を持ち、
白河郷北郷八十六ヶ村と南郷五十八ヶ村(福島県)、
那須郡二百六十ヶ村(栃木県)、
依上・保内郷四十二ヶ村(茨城県)が氏子範囲であった。
現在は茨城県側の人々によって祭祀が行われているらしい。
旧暦四月十七日に行われる梵天まつりでは、
梵天(金紙・銀紙を張り付けた5・6メートルの飾り付けられた鉾)が奉納される。

八溝山周辺では、鬼神伝説が分布しているらしく、
大同二年に弘法大師が、鬼神・鬼賊大猛丸を退治し
山頂に立って、その山容を見て「八溝の嶺」と名付けられたという。

また、池田城主藤原富得が、八溝山の悪鬼・大蛇を退治に出かけたが
途上、大蛇に襲われた。
この時、空から一童子(風神の化身)が出現し、大蛇を投げおろした。
その場所を蛇穴と呼ぶ。

さらに、栃木県側の『那須記』にも八溝山の鬼神・岩佐丸の記述がある。

当社の本殿の屋根には葵の紋が付けられていた。
当社の神紋かどうかは不明だが、
とりあえず「付いていたぞ」ということで掲載しておいた。


麓、林道入口

山頂、境内入口

境内社殿と展望台

展望台

拝殿

本殿


【 八溝嶺神社 (八溝山)(印刷用ページ) 】

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