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賣布神社
ひめふじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町女布初岡724  Zenrin Data Com Maps display !!


巴紋


桐紋

式内社 丹後國熊野郡 賣布神社
旧村社

御祭神
豊受姫命 大屋媛命 抓津媛命

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・甲山駅の東4Kmほどの女布に鎮座。
道路行程では6Kmほどになるだろうか。
佐濃谷川に沿って南北に走る668号線から、
300mほど東へ入った場所に境内がある。

境内入口、手水舎の脇に船石と呼ばれる石がある。
参拝時は、案内板をよく読まず
船形の石なのだと思い込んでいたが、
当社御祭神が当地へ船に乗って来られた
その船を埋めた場所の印の石なのだそうだ。

参道を進み、鳥居をくぐると正面に社殿。
入母屋造拝殿の後方に流造の本殿があるが、
拝殿は白く塗られた木に補強されていた。
個人的好みから言えば、黒か濃い褐色でお願いしたいところ。

社伝によると、
垂仁天皇の御代、河上摩須の勧請という。

式内社・賣布神社に比定されている神社で
「丹後国神階帳」に「正三位 賣布明神」とある古社。

現在の祭神は、豊受姫命大屋媛命抓津媛命だが
大賣布命、大咩布命、大賣布連など、社号に因んだ異説も多い。

当社・祭神は、海部村字谷に初めて留まり、その地を「足洗井戸」という。
そこから野中、安養寺、郷、円頓寺、丸山を経て
船に乗って、女布小字船処に上陸されたという。
祭神が経由された七村が当社の氏子であるらしい。

当社の南170mの地に、
当社の元宮とも考えられている布杜神社があり、
当社を大宮、布杜神社を小宮と呼ぶらしい。

拝殿には桐紋と巴紋が付いており、本殿には巴紋。
ただし、拝殿と本殿の巴紋は、左右が逆になっていた。
当社の神紋かどうかは、良くわからないが
とりあえず掲載しておく。

本殿の右手に、境内社の祠が一つあり、三扉構造で、
正一位秋葉神社、神武天皇社、正一位吉久稲荷大神の三つの扁額が付けられていた。

『平成祭データ』には、
境内社・秋葉神社の祭神が、迦具土命保食廼命神武天皇とあり
この三扉の祠が、秋葉神社なのかもしれない。

また、境内社に三玉神社(奧津彦命 奧津媛命 迦具土命)があるらしいが
記憶にも写真にも残っていない。見逃したのかもしれない。


鳥居

船石

社殿

社殿

秋葉社・神武天皇社・稲荷社

境内

拝殿

本殿

式内村社 売布神社
祭神 豊受姫命大屋媛命狐津媛命
由緒 当社の創立は丹後一覧記によると垂仁天 皇(十一代)代川上麻須の勧請に係るものと云う。
伝承に依れば久美浜町谷の足洗井戸があり祭神が 始めて留りし地であり野中、安養寺を経て船にて 女布に着き小字舟處に上陸されたという。この附近に 幟立ての小字があり道路そばに船石がある舟を埋めたという。
延宝三年(一六七六)女布明細帳によれば通称長船大明 神と言えりとあり南方一七〇米の地には布杜神社が あり売布神社を大宮、布杜神社を小宮とよんでいる。
明治五年四月氏子調査に依れば九ヶ村あつたがそ の後七村となり女布、丸山、郷、野中、安養寺、円 頓寺、谷の七村を云う。
元祭は旧九月二日牛の日である。
文化十年(一八一三)久美浜代官塩谷大四郎正義氏の 奉納刀がる。

−社頭由緒書−
原文のママ掲載



当社の創立は丹後一覧記等によれば、垂仁天皇の御代川上麻須の勧請に係れりという。その延喜式内社たることは延喜式を始め大日本神祇誌神社要録等に明記せる処なり。
海部村字谷に足洗井戸といへるあり。祭神の始めて留まりましし地にて野中、安養寺を経て女布に着き小字舟処に上陸されしという。
現社殿は明和6年の造営に係るものである。

−『平成祭データ』−



【 賣布神社 売布神社 (久美浜町女布)(印刷用ページ) 】

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