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漢國神社
かんごじんじゃ
奈良県奈良市漢国町6  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國添上郡 狹岡神社八座
旧県社

御祭神
韓神(大物主命 大己貴命 少彦名命

奈良市街地の中心、近鉄駅や開化天皇陵の東側にある。
やすらぎの道に鳥居があり。西側奥に境内。
鳥居の右手には「縣社 漢國神社」、左手に「饅頭の祖神 林神社」
と刻まれた社号標が立っている。

ということで、境内には饅頭の祖神(林浄因)を祀る林神社がある。

昔は、韓国、勘興、漢郷とも記された神社。

一説には、推古天皇の世に大三輪君白堤が春日邑の率川と坂岡に社を建て
媛踏蹈鞴五十鈴媛命大物主命を祀ったといい、
その坂岡の社が当社であるとして、式内社・狹岡神社の論社となっている。

平安末期以降は衰退して、春日大社の末社として
興福寺の支配を受けた。

境内社の林神社に祀られる林浄因は、室町時代に来日した我が国の饅頭の祖神。
中国では肉まんだったものを、小豆に変えたものを作ったという。

狭い境内だが、社殿の周りを末社が取り囲んでいる。
左側に林神では饅頭祭が行われる。
他にも八王子社、葵社、源九郎稲荷社などがある。
また、井戸の上に祠があるが、社名の確認を忘れた。
写真では「水神社」とも読めるのだが、自信がない。
さらに、神明宮のような雰囲気の境内社があるが、
こちらも確認し忘れた。


参道鳥居

境内

社殿

林神社

井戸の祠

境内社

源九郎稲荷神社

八王子社

葵神社

漢国神社
奈良市漢国町。祭神園神・韓神(そのかみ・からかみ:大物主命大己貴命少彦名命)。推古天皇元年大神君白堤が勅により園神を祀り、養老元年(717)藤原不比等・韓神の二座を祀る。同五年百済王が献上した白雉を元正天皇奉納。神亀元年(724)にこの雉を埋めた白雉塚がある。奈良曝には漢国から七賢人が来て居住し、雉子を愛したので氏子は一生雉子を食べないといわれる。 例祭一〇月一七日。鎮火祭=四月九日、三枝祭=六月一七日。境内社林神社の饅頭祭がある。

−『神社辞典』−

饅頭は洛の建仁寺の〔第二世〕竜山禅師が入宋し、光明帝の暦応四年(1341)に帰朝〔元の順宗皇帝の至正元年である〕したが、彼の地にあったとき、林浄因(りんじょういん)という人と交友し、彼を伴って帰朝した。林氏は奈良の二条に止住して饅頭を造るのを業とし、林氏を改めて塩瀬と名乗った。これがわが国の饅頭の始まりである。

−『和漢三才図会』−



【 漢国神社 漢國神社(印刷用ページ) 】

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