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馬岡新田神社
うまおかにったじんじゃ
徳島県三好市井川町井内東22
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式内社 阿波國美馬郡 波尓移麻比祢神社 |
徳島県井川町(現三好市)にある。
吉野川に近いJR辻駅から、井内谷川に沿って、
南へ4Kmほど進むと、武大神社がある。
そこから左手方向、井内谷川に沿って200mほどの場所に鎮座。
川に面して、狭い道路に沿って、石垣の上に境内がある。
境内入口の階段を上ると、正面に大きな社殿。
後方に入母屋造の美しい本殿がある。
境内に左手が少し開けており、その奥に八幡神社が鎮座。
馬岡新田神社とは別の鳥居が設置されており、
扁額は「村社八幡神社」とある。
創祀年代は不詳。
もとは、波尓移麻比弥神社と称していたが、
元暦2年(1185)、屋島の合戦に敗れて当地に落ちて来た
安徳天皇を合祀し、馬岡大明神と称した。
『平成祭データ』では祭神の中に、安徳天皇が見当たらないが、
境内社祖霊社の祭神として祀られているようだ。
その後、南北朝時代、当地の八ツ石城を築城した
新田義治を合祀し、波尓移麻比弥神社馬岡新田大明神となった。
明治になって、現社名である馬岡新田神社と改めた。
式内・波尓移麻比祢神社の論社。
波尓移麻比祢の「移」を「ヤ」と読み、
「ハニヤマヒメ」を祀る神社と考えられている。
埴山姫命は、伊邪那美命が迦具土神出産による
火傷で死ぬ時にした糞。糞に象徴される土の神である。
同時に出した尿に象徴される水の神は、罔象女神であるが、
阿波の式内社・彌都波能賣神社に比定されている武大神社は、
当社の北200mと、非常に近い位置にある。
当社馬岡新田神社と武大神社、
そして当社境内にある八幡神社をあわせ
三社の森と呼ばれているらしい。
社殿の幕には、新田氏の家紋・引両が染められていた。
本殿の屋根や扉には、卍紋が見られた。
卍紋は、徳島藩主蜂須賀氏の家紋。
神紋なのかどうかは不明。
境内入口 |
境内社 | 拝殿 |
本殿 |
境内左手にある八幡神社 | 境内社? |
馬岡新田神社
この神社は、延喜二十一年 (九二一年)選進された延喜 式の中に載せられたいわゆる 式内社で「波尓移麻比弥神 社」と称した。現在同神社 に秘蔵されている室町神社の 和鏡には側面に「波尓移麻 比弥神社御神鏡」と釘彫り され、室町時代という古い時 代から波尓移麻比弥神社と 呼ばれていたことがわかる。そ の後、祖谷へ落ちて来られた 安徳天皇を合祠し(元暦年 間)更に天正年間に新田義 治を合祠し「波尓移麻神社 馬岡新田大明神」と改称し た。明治二十七年「馬岡新 田神社」と改称し現在に至 っている。武大神社と、八幡 神社とあわせ三社の森と呼 ばれている。 三社の森の中の馬岡新田 神社の二本の杉は、周りが 六メートルもある、銘木で ある。 −境内案内− |