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住吉神社
すみよしじんじゃ
長崎県壱岐市芦辺町住吉東触470
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長崎県の壱岐、芦辺町にある。
郷ノ浦から382号線を北上し、4Kmほどのところ。
道路脇に鳥居があるが、そこから少し東へ下って境内がある。
古社の佇まいを期待していたのだが、あいにくと拝殿の工事中。
まだ、はじまったばかりのようで、基礎工事の段階だが、
工事車両や足場が設置され、残念だった。
それでも、境内には巨木も多く、玉垣に囲まれ、
一段高い場所にある社殿は、立派な造りだった。
拝殿が無いので、参道から真っ直ぐに本殿を臨める
この写真は、ひょっとすると貴重なものなのかもしれない。
神紋は、社務所でお聞きしたら、「菊」だということ。
『官國幣社 例祭之由来と神紋』には「三つ巴」、
『神社名鑑』には、その両方が記されていた。
社記によれば、住吉大神は神功皇后征韓のおりに出現し、
怨敵を退治した。よって、高貴徳王神とも称する。
皇后凱旋の時、郷ノ浦に上陸し、足形を石面に残し、そこに祀られた。
後に、神託によって、「波の音の聞こえぬ地」をお選びになり、
現在地に遷座したという。
海の守護神・住吉大神が、「波の音の聞こえぬ地」とは、面白い。
その後、皇后の臣、安部介麿に壱岐を賜り、住吉大神に仕えさせた。
日本最初の住吉神社らしい。
壱岐の住吉は、國幣中社である。
大阪住吉は官幣大社。下関住吉は官幣中社、博多住吉は官幣小社。
ここだけが、國幣社となっているのは何故だろう。
延喜の頃の、官國幣社の違いは、官幣社が朝廷、國幣社は国司によって祀られた。
当然、遠地では官幣社になりにくく、九州に官幣社はなかった。
明治の近代社格制度では、官幣社は皇室から、國幣社は国庫から幣帛料が出された。
ほとんど差は無いのだが、官幣社は皇室に縁が深いことになっている。
住吉の例を見ると、祭神で決まっているわけではないね。
壱岐七社参拝の一社。
七社とは、白沙八幡・興神社・住吉神社・本宮八幡・箱崎八幡・国片主神社・聖母宮。
382号線沿いに鳥居と燈籠がある。そこから階段を下る。
車だと、もう少し北へ行けば車道があり、境内前まで続いている。
肥前鳥居の奥、階段上に社殿がある。境内には巨木も多い。
境内に入ってすぐ左手に、神池がある。
池内の小祠(竹生島神社)下に、神功皇后三韓出兵の陣鐘があり、
そこから鏡を掘り出すと降雨するという言い伝えがあるらしい。
明治四年、大陸系鏡十二面、和系鏡五面が発見された。
382号線の鳥居 | 境内入口 |
入口から社殿 |
神木・クスノキ | 神池と竹生島神社 市杵島姫命・倉稲魂神 | 二股に分かれた木 |
社殿全容 |
住吉神社
−境内案内より− |