[HOME] > [神社記憶] > [九州地方] > |
|
住吉神社
すみよしじんじゃ
福岡県福岡市博多区住吉3−1−51
あまさかる ひなも都もすみよしと おもうところそ すみよしの里
|
|||
式内社 筑前國那珂郡 住吉神社三座 並名神大 |
博多駅から西へ10分程度歩く。
キャナルシティ博多の南にある神社。
参道は西側にある。
住吉大神を祀る神社は全国に、二千百二十九社あるらしい。
ここが、最初の住吉社であると、リーフレットに記載されていた。
『日本書紀』に、
黄泉から戻った伊弉諾尊が、紫日向小橘之檍原にて禊祓されて
生じた神の中に、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神がおられる。
また、仲哀天皇の死後、神功皇后が新羅へ遠征する時、
「和魂は王の身の命を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くだろうとの
神の教えがあり、依網吾彦男垂見に祀らせたとある。
社伝によると、当地は「紫日向小橘之檍原」の古跡であり、
神功皇后が祀られたのが当社であって、
当社は日本第一の住吉宮であるという。
一説には、那珂川町の現人神社が当社の元宮であるといい、
海岸線の移動とともに、現在地へ遷ったというが、確証はなさそうだ。
珂川の上流と河口部という位置関係から、なんらかの関連はあったのだろうが。
拝殿には、「正面からの撮影禁止」とあったような。
というわけで、初回参拝時は、斜めからの撮影。
その後の参拝で、随身門の位置から撮影した。
本殿は、瑞垣が周囲にあり、その周りを縄で結界されていたので、
近づけず、屋根しか撮れなかった。
一の鳥居 | 参道と二の鳥居 |
手水舎 | 随身門 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
本殿 瑞垣のため屋根だけ | |
住吉神社 祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命 例祭 十月十三日 社地は昔の那の津の川口にあり、社前の池はその川口の名残である。 この社はもと筑前国一の宮で、全国二千社をこえる住吉神社の 宗社である。昔から御祭神は、伊弉諾尊の禊祓の伝説から、厄除、 開運や航海安全の神として知られ、漁業関係者等の信仰があつく、 「住吉丸」という船の多い事もそのためである。 現在の本殿は、筑前国黒田長政が元和九年(西暦一六二三年) に再建したもので、仏教渡来前の古代建築様式を伝える「住吉造」 として国の重要文化財に指定されており、檜皮葺きで直線型の独特 の屋根である。 なお、夏越祭(七月三十日、三十一日)、相撲会(十月十二日、 十三日)、歩射祭(十一月七日)の神事がある。 なお神社の東北隅に康正年間(西暦一四五五年〜五六年)京都東 福寺の書記正徹禅師が筑前に下り、この地に愛着をもって松月庵を 建て滴露水という井戸を掘って茶道を楽しんだ跡がある。
−境内案内− 住吉三神は遠い神代の昔に、伊弉諾大神が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされた時に、志賀海神社の御祭神・ワタツミ三神と警固神社の御祭神・直毘の神と共に御出現になりました。 住吉大神をお祀りする神社が全国に二千百二十九社ありますが、当社は住吉の最初の神社で、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されております。 −『神社リーフレット』− |
【 住吉神社 (博多) 】